とろみについて、大内さんは「塩分が強く、塩分を下げると酸味が立ってしまい、そのバランスが難しかった」と話す。塩分と酸味を落として甘みを立たせ、昆布のうまみを足すことにより、独自ブレンドのソースができた。
家庭用のお好み焼き用ソースができたのは57年のこと。お好み焼き屋にソースを納入していたが、頻度が短くなるのを不思議に思ったという。来客数と納入量が合わないことから、ソースを持ち帰る客がいるとわかった。それが家庭用ソースを販売するきっかけになったという。
その後も、お好み焼き用ソースづくりの試行錯誤は続いた。創業者はものづくりにこだわりがあり、防腐剤や保存料を使わないようにしていた。
「防腐効果のある塩分を低くすることで、発酵して瓶が破裂し、爆弾ソースと呼ばれることもあった」(大内さん)
瓶に入った菌を完全に死滅させないと発酵してしまう。この問題は75年、新しく用地を取得して建てた工場に、最新鋭の機械を入れた設備が稼働して解決した。
お好み焼き用ソースの販売の要望は地元の広島以外からもあり、このころから徐々に販路を広げていった。83年に大阪、84年には東京にそれぞれ駐在所を設けた。大阪にはお好み焼きを食べる文化がすでにあり、老舗のソースも多く、販売に苦労したという。一方、東京では、お好み焼き店の開業を目指す人たちに、つくり方の研修をするなどの支援をして、販路拡大に地道に取り組んだ。
「百貨店で催事があれば社員が出向き、食べてもらおうと、お好み焼きを焼いた」(同)
お好み焼きの食文化を広めていくことで、お好み焼き用ソースの販路を広げていく戦略だ。
広島の家庭では、お好み焼き以外にも、さまざまな料理にソースを使っているという。大内さんの家庭では、目玉焼きやコロッケ、ハンバーグなどにもかけている。大内さんによると、一般的に、とんかつソースはうまみと酸味が強くて揚げ物に合い、お好み焼き用ソースは甘みが際立ち、うまみもある。