ミッツ・マングローブ
ミッツ・マングローブ
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 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、限界について。

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 先に閉幕した冬季五輪北京大会。今回も数々の不明瞭な判定や疑惑に揺れた大会でしたが、私が初めて「ドーピング」なる言葉を知ったのは、88年ソウル五輪における陸上男子100m決勝でぶっちぎりの世界新記録(9秒79)を出したベン・ジョンソン(カナダ代表)です。

 陸上界の大スターであるカール・ルイスを抜き1位でゴールした瞬間、ベン・ジョンソンは世界中のニューヒーローになりました。ネットもSNSもない時代だったにもかかわらず、地球全体が沸き立った感覚がありました。しかし、レース直後のドーピング検査で陽性反応が出て失格。金メダルも世界新記録も一瞬にして幻のものとなり、当時の子供たちは「ドーピング」という新語とともに大わらわだったのを憶えています。

 そしてもうひとり、同じ88年ソウル大会で強烈な印象を残した人と言えば、陸上女子100mと200m、さらには400mリレーで三つの金メダルを獲得したフローレンス・ジョイナーでしょう。風を切るロングソバージュに見事な筋肉美をたたえた褐色の肌、真っ赤な口紅とロングネイルは、まさに大会の象徴であり、「ジョイナーブーム」はバブル真っ只中の日本を席巻しました。学校で足の速い女子は、もれなく「ジョイナー」と呼ばれていたあの頃、何を勘違いしたのか「夜のヒットスタジオ」に夫婦(夫も陸上選手)で出演し、黒人とは思えない驚異的な音感の無さを披露。日本中を震撼させたことは決して忘れません。

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