元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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今更だが、ウクライナで戦争が始まってしまった。
正直なところ、この話題を書くべきかどうか悩んだ。ニワカ勉強の身で偉そうに何かを言えるわけでもないのは当然として、深刻なのは、考えれば考えるほど、全てに現実感が持てなくなっている自分に気づくのである。
例えばこんなことだ。目の前では今も誰もがマスクをしている。人類はウイルスとの戦いを継続中なのだ。新たなタイプが出てきたとかで未だ出口なし。そうこうするうちに人と人が戦い始めた。「三密回避」とか戦場ではどうなる?……なんてことは問題にならない。ウイルスよりヒトが恐ろしいということなのだろう。じゃあなぜ我らヒトはウイルスに怯えているのか? っていうか、そもそも自分を含めてヒトの正義とは何なのか。地球上で一番困った存在はどう考えてもウイルスよりヒトだろう。
……そんなことを、戦場から8千キロ離れたポカポカの東京でぼんやり考えている自分のマヌケさに愕然とする。SNSを見ればウクライナ支援を呼びかけている友人もいる。でも私には何が正しくて何がそうじゃないのかがわからない。どっちが悪いとかそういうことじゃなくて、そもそもヒトって何? 正しさって何? ってこともわからず身動きが取れずにいる。
なので、結局いつもどおりに生きている。ピアノを練習し、カフェで原稿を書き、馴染みの酒屋と豆腐屋と米屋で立ち話をして銭湯でおばちゃんの愚痴を聞き、飯を炊いて夜は一合の燗酒を飲む。まずは目の前のことをしっかり見て、目の前の人、目の前で起きていることに自分ができることを自分なりに考えたい。っていうかそれしかできない。
でも一つだけ、新たに自分に課したことがある。
私は人への信頼を取り戻したいと思っている。コロナ後、気づけば意に沿わぬ行動をとる人に眉をひそめている自分がいる。気に入らぬ隣人を排除せず心を開くことなんて本当にできるのか? 戦争の話ではなく私事。でもそれもできずに何ができようか。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2022年3月28日号