
その理由は“創作の自由を得たかったから”。日本での大きな成功が目の前にあるにも関わらず、やりたいことをやるためにアメリカに渡る。その行動には賛否両輪があったが、当時中学生だった筆者は、その自由さに圧倒され、「こんな大人になりたい」と憧れた。
80年代前半のマンハッタンの空気、新たな音楽のスタイルを吸収しながら制作されたアルバム『ヴィジターズ』(1984年)は、当時の日本ではまったく馴染みがなかったヒップホップを取り入れた作品。それまでの作風を大きく変えたことで、音楽評論家やメディアは“どう評していいかわからない”という態度だったが、リスナーには熱狂的に受け入れられ、チャート1位を獲得。日本のポップミュージックに大きな刺激を与えた。
■時代を先取りするメディア発信も
帰国後に制作されたアルバム『カフェ・ボヘミア』(1986年)は、ソウル、ファンク、ジャズ、スカなど多彩な音楽性を反映した作品。また、ヒット曲「約束の橋」を収めたアルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』(1989年)は、エルヴィス・コステロの作品を手がけたコリン・フェアリーをプロデューサーに迎え、ロンドンで録音された。1作ごとに変化を繰り返す佐野に対し、ファンは戸惑い、ときに“理解できない”という声もあったが、常に新たな表現スタイルを求める姿勢こそ、佐野の存在がいつも斬新であり続ける理由なのだ。
さまざまなメディアを介した積極的な発信も佐野の特徴。NHK-FMの「サウンド・ストリート」から始まったラジオ番組「元春レイディオショー」や、自ら責任編集をつとめた雑誌『THIS』の創刊は彼のキャリアにおいても大きな意味を持つ“作品”と言えるだろう。インターネットへの取り組みもきわめて早く、Yahoo! JAPAN設立の前年、1995年にオフィシャル・ホームページ「Moto’s Web Server(MWS)」を立ち上げている。インターネットを活用した発信はいまや誰もがやっていることだが、その先鞭をつけたのは佐野だと言っていい。