沖縄の復帰から50年。過重な基地負担は変わらず、貧困や格差も深刻だ。日本復帰とはなんだったのか。沖縄の激動の歴史を通して考える。AERA 2022年5月16日号は「沖縄返還50年」を特集する。
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沖縄の歴史は世移りの歴史といえる。
かつては「琉球王国」が統治していたが、明治政府によって王国は廃滅させられた。太平洋戦争では日本本土を守るための「捨て石」とされ、激しい地上戦で県民の4人に1人が犠牲となった。戦後は日本から切り離されて27年間米軍統治下に置かれた。このように沖縄は、大和世(やまとゆー)~戦世(いくさゆー)~アメリカ世(ゆー)と翻弄され続けてきた。
日本に復帰して50年経った現在も、国土面積の約0.6%しかない沖縄県内に全国の70%超の在日米軍専用施設・区域が集中。1人当たりの県民所得は全国最低で、子どもの相対的貧困率は29.9%と全国平均(13.5%)の2倍以上など、沖縄はさまざまな深刻な課題を抱えている。
日本復帰とはなんだったのかを考える上でヒントになるのが、昨年出版された『つながる沖縄近現代史』(ボーダーインク刊)だ。気鋭の若手研究者らが最新の研究成果や資料に基づいて執筆した同書は「歴史観の深みや質」にこだわった新しいタイプの歴史入門書として注目されている。共編者の秋山道宏・沖縄国際大学准教授(39)、古波藏契・明治学院大学社会学部付属研究所研究員(31)、前田勇樹・琉球大学附属図書館職員(31)の3人に沖縄近現代史のポイントを解説してもらいながら、日本復帰について考えてみたい。
■ペリーの来航を起点に
沖縄の近代は、琉球王国が明治政府によって解体される「琉球処分」から説き起こすのがスタンダードだ。しかし、琉球沖縄史が専門の前田さんはあえて、「ペリーの琉球来航」を起点に置く。その理由は「ペリーが琉球にやってきた時代の国際情勢に目を向けてもらいたい」からだ。
アヘン戦争(1840~42年)以降、西洋列強が東アジアに植民地や市場を求めて進出する。この流れに少し乗り遅れた国が、北米大陸を統一後、海洋進出に乗り出した米国だった。
ペリーは1853~54年にかけて計5回、琉球を訪れている。54年には徳川幕府と日米和親条約を締結後、琉球王国とも「琉米修好条約」を結んだ。
「米国が最短コースで中国へ向かうには、汽船の燃料になる石炭を保管しておく寄港地が必要でした。鎖国中の日本以外で寄港地を確保する必要に迫られた米国が目をつけたのが、琉球と小笠原でした」(前田さん)