■郷土とのつながりの強さ
たびたび帰郷するのも、沖縄出身者ならではだ。
「川崎で野宿生活をしながら、沖縄に一時帰郷したり、沖縄で川崎の路上の情報を得たりもしている。こんなこと、他地域の出身者にはあり得ません。なんだろうこの現象は、と」(同)
沖縄以外の出身の人は、「もう故郷には帰れない」と思って野宿生活を続けている人が多い。しかし、沖縄出身者は決して安くない航空運賃を工面し、思い立ったら帰郷する。ただ、沖縄に戻っても、長くはとどまっていられず、川崎での野宿生活に戻るケースも多い。その理由についても水嶋さんは今後、解明していく予定だ。
■「沖縄軍団」で助け合う
特徴はまだある。沖縄出身の野宿者は身を寄せ合ってテント生活を送るなど、独自のネットワークを形成する傾向が強い。他の野宿者から「沖縄軍団」と恐れられるほどの結束力で、野宿の場所取りや生活物資の収集も助け合っていた。ウチナーンチュ(沖縄出身者)同士ということで意気投合して路上で酒を飲み、ホームレスではない沖縄出身者から職場を提供される事例もあった。弱い立場にある仲間をほっておかない特性も、沖縄出身の人にはより顕著であることもわかった。
一方で、飲酒絡みのトラブルが絶えず、アルコール依存で亡くなった人も少なくない。川崎市で沖縄出身の野宿者が加害や被害の当事者になる刑事事件が90年代~2000年頃にかけて相次ぐなど、支援にかかわる上で注目せざるを得ない面もあった。
水嶋さんは言う。
「ウチナーンチュの野宿者はある意味、ホームレスの代表格なんです」
■「おきなわ」のキーホルダー
水嶋さんらは13年12月に沖縄での事前研修を経て、14年7月から記録集作成のためのヒアリングに着手。「被差別体験」「沖縄文化とのつながり」「沖縄とヤマトとの違い」「沖縄との関係の継続性」など多岐にわたる質問項目からなる調査票を準備し、聞き取りに当たった。主な年齢層は聞き取り時、50代半ばから60代後半。中には、08年から断続的に14年間、野宿生活を続けている68歳の男性もいた。
今回の聞き取りで、川崎で路上生活をしていても、沖縄に関する情報感度が高いことが浮かんだ。高校野球で沖縄選出の高校の勝敗に一喜一憂する人や、辺野古新基地建設に関する動きを把握している人も多かった。情報源は主にラジオだ。
「野宿をしていて沖縄とのつながりを何で確認しますか」との問いに、キーホルダーを差し出す人もいた。沖縄本島をかたどったキーホルダーには「おきなわ」の文字が彫られている=写真参照。サビも混じる、年季の入ったキーホルダーには男性の故郷への思いがにじんでいた。
「川崎駅のベンチで、以前から知り合いだった人から聞き取りをしたときです。14年の調査時に49歳だったこの男性に質問したところ、言葉では回答せず、ニコッと笑いながらポケットから取り出したのがこのキーホルダーでした。彼の表情がすべてを物語っていて、キーホルダーを入手した経緯などをあらためて尋ねる気にはなりませんでした。なんかいいなと思って、『写真撮っていい?』と聞いて撮影させてもらいました」(水嶋さん)
横浜市や川崎市には沖縄出身者の親睦団体「沖縄県人会」もある。だが、こうした団体とは距離を置く人がほとんどだ。「県人会と関わりがありましたか」との調査票の質問に、「ある」と回答したのは1人だけ。現在の境遇や居場所を地元の人に知られたくない、との思いが見受けられる。