この時間というのも難題中の難題で、そんなもの存在しているんですかね。人間が肉体的存在であるために「生・老・病・死」なんてお釈迦さまがいったその瞬間から時間が存在することになったのと違いますか? こんなもの人間が生きているから与えられたもので、最初から死んでいれば時間なんてなかったはずです。人が生まれた瞬間から老化を始めるのは、そこに時間があるからでしょう。だからお釈迦さまが生まれる以前は時間などなかったんじゃないでしょうか。

 原始人の時代なんて時間はなかったと思いますよ。昨日、今日、明日なんてそんなものはなく、たった今だけが昨日、今日、明日へと反復していただけの話だったと思いますよ。時間が存在し始めたのは、アダムとイブが出現して、そこで初めて人間に欲望というものが発見だか、発明されてしまったために時間ができたんと違いますか。そんな時間の発見が今日までずっと続いていて、時間は人類のDNAの中でその存在価値を発揮し始めたように思います。われわれは現代、時間を持続、存在させる欲望と執着の時代に生きています。

 そんな時間は人類に平等に与えられてはいません。欲望と執着がはかりにかけられて、不平等に存在しているのです。欲望や執着の激しい人の時間は短いですが、それのあまりない人の時間は同じ一日でも、うんと長いです。「あっ、今日はアッという間に一日が終わってしまった」と言う人は、その人の欲望の度合いが強かったので、あれこれ考え過ぎたせいでしょ。こんな時は一日は短いでしょうね。その間ストレスが高じて、生存時間まで縮めかねません。太く短く生きるか、細く長く生きるかはその人の欲望、執着度が決めるんじゃないかな? と哲学者でも医者でもない僕が我流で考えたことです。

 生きている間は物質界が支配する世界で生きているので時間の制約を受けるけれど、死んであっちへ行けば、肉体という物質が存在しません。ということは時間も存在しないように思います。時間が存在しないということは死も存在しないということです。折角、肉体を脱ぎ捨てて死んだんだから、時間の制約から解放された肉体は無になったわけで、そりゃ長生きをしますよ。時間のない世界に透明人間になって這入ったんだから、そりゃこの現世より向こうの方が自由です。

暮らしとモノ班 for promotion
新型スマホ「Google Pixel 9」はiPhoneからの乗り換えもあり?実機を使って検証
次のページ