横尾忠則
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 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、「幸せ」と「時間」について。

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 出されるお題がだんだん試験を受けているような恐ろしいことになってきました。今週は「幸せ」と「時間」とは「何でしょうか」。これは哲学者でないとまともに答えられません。

 ですから、アートの領域で考えることでいいでしょうか。

 先ず「幸せ」ですが、絵は「幸せの青い鳥」を探す旅に出掛けることとどこか似ているように思います。いるかいないかわからない当てのない旅はそのまま絵の世界です。目的のない旅です。僕の場合でいうと、どこにそんな鳥がいるのか、いないのかさえわからないで出掛けるわけですから無謀の旅でもあります。旅の途上で出合う鳥が青い鳥ではなく、赤い鳥だったり、黄、緑、紫だったりして、その鳥に出合ったために絵はどんどんおかしな方に向かって、結局は不幸せの鳥だったということは、しょっちゅうです。

 ここで結論から言っちゃいますが、僕はハナから「幸せ」を求めていません。もし「幸せ」に出合ったら、その鳥は僕にとっては決して「幸せ」ではないと思います。無意識に僕は「幸せ」を放棄して、「不幸せ」の鳥を探していることにフト気づきます。絵が作家にとって「幸せ」であるということは、むしろ「不幸せ」なことではないかと思います。だいたい「幸せ」に見える絵なんてほとんどつまらない絵が大半です。だから、最初から「幸せ」など放棄した方がいいのです。もし画家が「幸せ」と出合ったとしても、一瞬でその「青い鳥」は手の中から逃げてしまいます。

 画家にとって「幸せ」なんて不必要なんです。そんな幻想は最初から捨てるべきです。だから画家には「幸せ」は最初から無縁です。画家が「幸せ」になったら、その画家は一巻の終わりです。だから絵が全てである僕には生まれながらに「幸せ」とは無縁の人生を宿命によって与えられているのです。というわけで「幸せ」の次の「時間」に移ります。

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横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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