NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(三谷幸喜脚本)が話題だが、鎌倉幕府の成立年はいつか。昔、語呂合わせで覚えた「1192(イイクニ)」も今は通用しない。なかなか定まらないのは、研究者の間で議論が続いているからだ。
候補に挙がるのは、朝廷から領地の支配権が認められた1183年や、公文書の管理を担う公文所や訴訟を扱う問注所といった幕府の内部機関が固まった1184年など。有力だった1185年はこの年、朝廷から軍事・行政官である守護や地頭を置くことが認められたのが根拠になっている。シニアになじみの1192年は、頼朝が征夷大将軍に任命された年だ。
だが、国際日本文化研究センター(京都)の所長、井上章一さんは「これらはあくまで形式的な面に着目したものにすぎません」と言う。
「大事なのは、土地の所有や統治を媒介とした『封建制』が実体としていつ、どのようにできたかだと思います」
井上説はずばり、「1180年」だ。
「私は専門家ではありませんが」と断りつつ、中世史の専門家らが一堂に会した1月のNHK番組で、井上さんがこうした見方を披露すると話題になった。
「鎌倉幕府の本質は、親分である源頼朝と、子分である御家人の主従関係。頼朝は御家人の縄張り(領地)を保証し、土地の管理を任せる代わりに、御家人は何かあれば頼朝のもとに駆けつけ、武力を提供する。今の組織で言えば、広域暴力団のようなもの。『関東鎌倉連合会・源組』と呼んでもいいでしょう。そう考えると、頼朝と御家人の間でこうした関係が固まった1180年を幕府成立の年とみるべきです」