長年にわたり死生学を研究し、自身も夫を亡くした経験を持つ小谷みどり・シニア生活文化研究所所長。配偶者を亡くした死別者の交流の場「没イチ会」を立ち上げ、多くの死別者と向き合ってきた。悲しみからどのように抜け出して歩むかについて、自身の体験を交えた話を聞いた。
【アンケート結果】配偶者と自分、どちらが先に死にたい?男性と女性、年代で違いは
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夫の突然の死から11年。ある日突然亡くなった夫は、遺体を解剖しても「死因不詳」とされたこともあり、今でもなぜ死んだのかわからないままです。それゆえに「本当に死んだのかな? どこか遠くに行っているだけじゃないかな?」という感覚が今もあるのが正直なところ。
夫を亡くして“死別者”となったとき、「死別者はこうあるべき」という世間からの押し付けのような圧力に、違和感を抱くこともありました。例えば、ちょっと笑いでもしたら、「夫の死が悲しくないのか」となり、「しばらくは悲しい顔をしたほうがいい」という忠告を受ける。死別した人が、他の人と同じように楽しい毎日を送っていると、眉をひそめる人が想像以上に多いのです。
また、アンケートなどで婚姻状況をたずねる項目は、「未婚」「既婚」に続いて「離・死別」とあることが多く、配偶者との「死別」と「離別」がなぜか一括りにされがち。配偶者と死別した人は、気持ちの上では既婚者であって、離婚した人とは異なります。離婚した人は結婚した相手を「元夫」や「元旦那」などと呼びますが、死別した人はそんな表現は使いません。なぜなら元配偶者ではなく、亡くなった相手は今も夫であり、妻であるから。
「寂しいでしょう」「可哀想に」という言葉もたくさんかけてもらいましたが、可哀想なのは亡くなった夫であって、夫に死なれた私が可哀想な存在と思われることも苦痛でした。もちろん、死別者を気遣ってくれている気持ちはわかります。ただ、社会からある種の「差別」を受けていると感じてしまう死別者というのも少なくないと思います。
配偶者を亡くした人が、夫や妻について話すとき、相手に同情してほしくて話しているわけではない。自分の中に生きている配偶者を確認したいというか、「ただ話したい」というのが真理だと思う。でも気兼ねなく亡くなった相手のことを話せる相手って、意外といないものなんです。