延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
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 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。音楽評論家の松村雄策さんについて。

【写真】在りし日の松村雄策さん

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 今年の春に亡くなった松村雄策さんは、音楽評論家というより家庭教師のような存在だった。

 松村先生は『ロッキング・オン』誌上でロックがいかにナイーブで知的なのかを教えてくれた。文学的で、偏差値の高い芸術だということも。

 中学・高校時代、小遣いを貯めてはレコードを買う日々だった。日本盤より早く聴ける輸入盤や音の歪んだツェッペリンライブの海賊盤など片っ端から聴いていた。著作権の問題もあったのだろう、海賊盤、いわゆるブートレッグはラジオではオンエアされなかった。

『ロッキング・オン』創刊は1972年。ビートルズはこの世に存在しなかったが、僕はこの雑誌をむさぼるように読んだ。それだけでなく、松村さんが着ていた、ラモーンズ風ライダースジャケットを着て、彼の論調に似せてクラスメイトとロック同人誌を作った。

 松村さんはロックミュージシャンを、憧れのスターではなく、同世代の表現者として扱い、歯切れよくフラットな言説が爽やかだった。

「イギリスでは『アビイ・ロード』が発表された直後の一九六九年十月に、僕は高校を退学になった。文化祭で学校側の挑発に乗せられて、ぶつかってしまったのだ」(『ウィズ・ザ・ビートルズ』)

 松村さんのこんな文章に、『ライ麦畑でつかまえて』(J・D・サリンジャー)に登場する17歳の主人公ホールデン・コールフィールドと松村さんの少年時代を重ね合わせたりした。

 ビートルズのリーダーだったジョン・レノンがダコタハウス前で銃殺されたのが80年12月8日。翌年3月号の『ロッキング・オン』に「若者たちはジョン・レノンが死んだからといって世界が終わるわけではないという顔をしていた」と松村さんは書いた。

 ジョンの訃報(ふほう)に一晩中酒を飲んでいたと知り、彼の著作を本棚から引っ張り出し「ビートルズは北極星である。他の星は動いても、北極星はいつでも同じところで輝いている」との文章に付箋(ふせん)をつけた。

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