応接室として使われていただろう1階の部屋。壁は白い漆喰。2階の部屋の漆喰には卵の殻を練り込み、黄に色づけしている(写真/写真映像部・東川哲也)
応接室として使われていただろう1階の部屋。壁は白い漆喰。2階の部屋の漆喰には卵の殻を練り込み、黄に色づけしている(写真/写真映像部・東川哲也)

 キャンパス内に、国指定の重要文化財を所有する名門大学がある。なかなか見る機会のない歴史的建造物を訪ねるシリーズ。第3弾は「明治学院大学」と「学習院女子大学」です。

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■明治学院大学 インブリー館

明治学院にはかつて4棟の宣教師館があったが、3棟は校舎増設のために取り壊された(写真/写真映像部・東川哲也)
明治学院にはかつて4棟の宣教師館があったが、3棟は校舎増設のために取り壊された(写真/写真映像部・東川哲也)

 現存する最初期の外国人宣教師館のひとつ。明治22(1889)年頃に建てられ、明治学院創立にも尽力した宣教師ウィリアム・インブリー博士が、夫人と共に明治30年から帰国する大正11(1922)年まで居住した。

明治学院・インブリー館。玄関ホールから見上げる。寄せ木の張り方が場所ごとに異なっている(写真/写真映像部・東川哲也)
明治学院・インブリー館。玄関ホールから見上げる。寄せ木の張り方が場所ごとに異なっている(写真/写真映像部・東川哲也)
ドアノブには陶器が用いられている。有田焼と推測される(写真/写真映像部・東川哲也)
ドアノブには陶器が用いられている。有田焼と推測される(写真/写真映像部・東川哲也)

 木造2階建て。1階部分は廊下を通らずエントランスホールから直接各部屋に入れるように設計され、玄関も内開き扉となっているなど、同時代のアメリカ住宅の意匠を示す。一方で内装に漆喰(しっくい)壁を用いたり、ドアノブに有田焼と思われる陶器を使用するなど、和の要素も取り入れられている。

 現在は歴史資料館事務室などが置かれている。コロナ禍前までは11月上旬の東京都文化財ウィーク中に一般公開をしていた。

■学習院女子大学 学習院旧正門

学習院旧正門(写真/写真映像部・東川哲也)
学習院旧正門(写真/写真映像部・東川哲也)

 明治10(1877)年、学習院が神田錦町に開かれたときに建てられた正門。鋳鉄製で、埼玉県川口市の鋳物工場で製作された。左右に脇門と袖塀を備え、本柱と本柱の間は5.45m、本柱と脇柱の間は2.58mもの堂々としたスケール。唐草をあしらった透かし文様が入り、明治初期の様式と技術を伝える。

 神田錦町の校舎が明治19年に焼失後、学習院の所有を離れたが、卒業生有志の運動で昭和5(1930)年に目白の学習院構内に戻る。昭和25年に戸山に移され、学習院大学短期大学部(現・学習院女子大学)、学習院女子中・高等科の正門となった。

(取材・文/本誌・菊地武顕)

週刊朝日  2022年6月10日号