岸田文雄首相
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 安倍晋三元首相は中国に対抗する態勢づくりをめざした。亡き後、岸田文雄首相はどう動いていくのか。AERA 2022年8月1日号の記事から紹介する。

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 外交面で安倍晋三氏は「中国挟み撃ち戦略」を進めた。人口で中国に並ぶインドに接近。自衛隊とインド軍との交流も進めた。それが、日本が提唱し米国も同調した「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)構想につながり、日米豪印4カ国による「QUAD(クアッド)」に結実していく。

 もっとも、したたかな外交を進めてきたインドが、簡単に対中包囲網に加わるわけではない。インドは軍事的に中国と対立しながらも、経済面では中国との交流を重視。米中対立を含めて「模様眺め」を続けそうだ。

習近平氏を招く計画も

 安倍氏が積極的に進めた対ロシア外交にも、台頭する中国への対抗策という狙いが込められていた。安倍氏は第1次政権も含めると計27回、プーチン大統領との首脳会談を重ねた。2018年11月のシンガポールでの首脳会談では、北方領土問題について、安倍氏がそれまでの4島一括返還から歯舞、色丹の2島先行返還論に事実上、譲歩する案を提示した。安倍氏には、領土問題を解決し平和条約を締結するという「レガシー(政治的遺産)」作りという思いもあった半面、中国ににらみを利かせるにはロシアとの友好関係を築いて「挟み撃ち」にするという戦略的発想も強かった。

 しかし、プーチン大統領は北方領土問題で日本側の妥協案に歩み寄ることはなく、進展は見られなかった。日本外務省の事務次官OBは「ロシアと中国には水面下の深いつながりがあり、安倍氏が中国包囲網のためにロシアを味方につけようというのは無理筋だった」と語る。

 もちろん、安倍氏の対中外交は強硬一辺倒だったわけではない。習近平(シーチンピン)国家主席を国賓として招く計画もあったが、新型コロナウイルスの感染拡大で延期となったままだ。経済・軍事大国の中国に対して、日米同盟やロシア・インドとの関係を強化することで戦略的に向き合う。その結果、中国も日本に一目置くようになり、それが日中の対等な関係作りにもつながる──というのが安倍氏の対中外交の基本姿勢だった。結果的には、日米同盟は強化されたが、ロシアとの関係改善は進まなかった。政権の後期には森友問題の公文書改ざんや桜を見る会の公私混同などもあり、政権の勢いが失速したこともあって、安倍氏の対中戦略は道半ばに終わった。

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