2005年6月平成の両陛下 戦後60年の慰霊の旅。多くの日本人が身を投げたサイパン島のスーサイドクリフの崖に向かって黙とうし、海を見つめた
2005年6月平成の両陛下 戦後60年の慰霊の旅。多くの日本人が身を投げたサイパン島のスーサイドクリフの崖に向かって黙とうし、海を見つめた

 その日は、午前中から南国の太陽がじりじりと照りつけていた。両陛下は切り立った崖の先端で歩を止め、丁重に黙祷を捧げ、海を見つめた。そのとき、シロアジサシに似た鳥が3羽ほど、静かに、ゆっくりと飛んでいった。

 のちに美智子さまはこのときの様子を、皇室医務主管を務めた故・金沢一郎氏に、こう振り返った。

「この場所で命を落とした人びとの魂が、思いを残しているように感じました」

 1942年にミッドウェー海戦で敗れた日本軍は、翌43年にガダルカナル島から撤退。44年6月15日にサイパン島南部から米軍が上陸すると、日本兵や民間の日本人は島の北部に追い詰められ、断崖絶壁へと向かった。赤ん坊を抱いて海に飛び込む母親や、手投げ弾で自決する家族ら、遺体が崖の下で重なりあった。7月7日に玉砕するまでの約3週間、日本兵と軍属約4万3千人、民間人約1万2千人、そして3500人を超す米兵が命を落とした。戦後、日本政府は島の北部にあるスーサイドクリフの下にサイパン、グアムや周辺の海域で戦没したすべての犠牲者を慰霊する「中部太平洋戦没者の碑」を建立した。

■身を投じる女性の足裏思う

 当時、悲劇のサイパン戦から61年の歳月を経ていた。旧日本兵や民間人の遺族らが見守るなか、両陛下は碑の前に進んだ。日本から持参した白菊の花束を献花台に捧げ、深く礼をした。シロアジサシに似た鳥が舞ったのは、そのすぐ後のことである。

 美智子さまは帰国後、絶望的な戦況の中で島の果ての断崖から身を投じた女性たちのことを思い、和歌に詠んでいる。

<いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏思へばかなし>

 侍従長として平成の両陛下に仕えた故・渡辺允氏は、両陛下が頭を垂れたその背中を、一歩下がって見守っていた。

 生前の渡辺氏に、皇室の慰霊について取材をしたことがある。渡辺氏は、美智子さまが和歌に詠み込んだ「足裏(あうら)」という表現に、はっとした。

身を投げる場面が目に映っているかのような力を持っていたからだ。

「人びとが命を絶ったその地に自らの足で立ち、彼らの悲しみと苦しみに心を寄せたからこそ、生みだされた表現ではないでしょうか」

 令和の皇室と未来を担う若い皇族方も、戦争と向き合い続けている。

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愛子さまがつづった平和への思い