林:文章よりも、モノのほうがいいんですね。
五木:そう。1950年代かな、プレスリーがカバーした「ブルー・スエード・シューズ」という歌がはやって。「俺に手を出してもいいが、この青いスエードの靴には触るなよ」とかいう面白い歌詞のロックンロールなんだけど、そのころ馬車道(横浜市)の靴屋で青いスエードの靴を見つけたんですよ。それでその月の収入の大半を投じて衝動的に買ったんです。
林:その靴は実際におはきになったんですか。
五木:いや、あまりにも派手すぎて一回もはいたことがない(笑)。そのまま置いてあるけど、その靴を見ると、1950年代の東京とか馬車道とかが映画を見るようにパーッと浮かび上がってくるので、退屈しないんですよね。
林:そうなんですか。
五木:1950年代から60年代にかけて、新宿が「夜の王国」だった時代に、「ナジャ」という酒場で、画家の金子國義さんが肖像画をサラサラッと描いて、それを僕にくれたことがあった。それも大事にとってあるんだけど、見ると当時の新宿が頭に浮かんできて、古い映画を見ているよりも面白いんだよね。夢遊病者のようにうつらうつらと、あのときはあの人がこうだった、ああだったと思い出す。ちょっとボケたのかしら(笑)。
林:『捨てない生きかた』のカバーに「愛着ある『ガラクタ』は人生の宝物である」ってありますけど、いろんなモノを持つことで思い出が自分によみがえって、そこから深い思索の旅に出るということは、確かにあるかもしれませんね。
五木:コロナのステイホームで、無為の時間ができるじゃないですか。そういうときにいろんなことを回想するんですよ。それにはモノがあったほうがいい。モノから糸口が無限に開けてくる。回想に浸って日がな一日ステイホームしてるというのは、すごくいい人生だと思いますけどね。
林:私なんかはそういうとき、何であんな恥ずかしいことをしたんだろうとか、親に申し訳ないとか、いろんな反省が胸を突いて出てくるんです。特に最近は年齢的に。
五木:林さんはまだまだエネルギッシュだからね。新刊も続々と出されて。でももうちょっと年をとってくると、悪い記憶は浄化されていって、いい記憶だけがよみがえってくるんだよね。ひょっとしたら極楽浄土というのは、そういういい記憶だけに包まれてるような世界なのかもしれないし。
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(構成/本誌・唐澤俊介 編集協力/一木俊雄)
※週刊朝日 2022年7月1日号より抜粋