「余ってるならバターを作ればいい」はマリーアントワネット的暴論

「牛乳以外」と聞くと、「その通り!やはりバターをじゃんじゃん作ることで、日本のバカ高いバター価格を下げて消費を増やしていくしかない」というようなことを主張する方もいるだろう。この問題が報じられた後、一部のコメンテーターから、「余った5000トンはバターに加工すればいい」という意見が出て、多くの人が「そうだ、そうだ」と賛同した。

 さらに、バターにしないで廃棄するのは、ホクレンなどの農協が既得権益を守っているからだというような批判を展開している人も少なくない。

 ただ、日本独特の指定団体制度にいろいろな問題があることは間違いないが、「余るならバターにしちゃいなさい」というのはあまりにも安易だ。実際にこの問題に関わる人からすれば、マリーアントワネットが言ったと伝えられる「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」と同じくらいの暴論だ。

 というのも、そのように外野に言われる遥か前から、業界としては余ってしまった生乳を廃棄しないように、バターや脱脂粉乳に回すという努力を続けているからだ。

 実は昨年、バターの在庫は20年ぶりの高水準となっている。「生乳の廃棄を回避するため、長期保存のできるバターの生産を増やした」(日本経済新聞2020年9月30日)からで、畜産産業振興機構によれば20年7月時点のバター在庫は前年同月日40.8%増の3万9057トン。バターとともに加工される脱脂粉乳の在庫も15年ぶりの高水準だった。

 こういう努力を1年以上続けて、工場もフル稼働でパツパツだ。在庫もさらに積み上がっている。いろいろな意味で限界なのだ。にもかかわらず、「生乳が余っているのにバターをつくらないのは、自分たちの利権を守るためだ!」と叩かれてしまう。その心中は察してあまりある。

「在庫が余っているのなら値段を下げて売れ、それが商売だろ」ととにかくバターの安売りを執拗に求めてくる人も多いが、それをやってしまうと回り回って、減少傾向にある国内の酪農業にトドメを刺すような形になってしまう。消費者は安いバターが買えてハッピーだが、だからといって、急にバターの消費が爆発的に増えるわけでもないので結局、大量の「廃棄バター」を生むだろう。そうなれば当然、乳業メーカーと酪農生産者(団体)の「乳価交渉」にも悪影響を及ぼす。

 廃棄される生乳が、加工したバターに変わるだけで、なんの解決にもならないのだ。

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