宮澤は教育関連法規を穴が開くほど読み、学校教育法で定めた「技能連携校」に目をつける。東京電力や日産自動車、日立製作所といった大企業は、「金の卵」と呼ばれた中卒従業員のために企業内に技能連携校を持ち、通信制高校と連携していた。そこで専門科目の実習をしながら通信制で普通科目を学べば、高校卒業の資格が得られる。

 ■実印を取り戻すために、闇金の事務所に乗りこむ

 この技能連携校を企業内ではなく街なかにつくろうと宮澤は思い立つ。法律の条文のどこにも企業内に設置せよ、とは書いていない。だったら「外」に技能連携校を設けて、高校に進学できない子どもを集め、通信制高校と組めばいい。これが「すき間産業的な」発想である。ただし、文部省(現・文科省)の担当官は「前例がない」とけんもほろろに突き放した。「高校に行けない子どもを何とかしたいんです」と宮澤は懸命に訴える。一方で、東京都世田谷区の通信制の科学技術学園高校の協力を取り付けた。こうして厚い壁を突破し、1984年、宮澤学園高等部(現・星槎学園)を開校したのである。

 宮澤学園の創設は、事情を抱えた子どもの教育に新たな地平をひらいた。だが、吉凶はあざなえる縄の如し。開校して間もなく、知人に頼まれ、静岡県三島市の幼稚園の再建に乗りだすと、前経営者の放漫経営で膨らんだ借金が襲いかかってきた。難敵は暴力団につながる闇金融だ。前経営者が借りた4千万円は高利で4億円に増えている。おまけに幼稚園の「実印」を闇金が握っており、取り戻さなくては園が再開できなかった。

 宮澤はトランクに大金を詰めて闇金の事務所に向かう。高校時代からの大親友、ヤマグチが同行してくれた。彼は剣道二段で身長180センチ、体重85キロ、裏社会にも通じていた。

「宮ちゃん、大丈夫、おれに任せろ。金を持っていれば、命は取られねぇ。いいな」とヤマグチは耳打ちする。事務所には十数人の男が待ち構えていた。ヤマグチはトランクをあけ、現金を見せた。

「ふざけるな。そんな金じゃ足りねぇ」と怒号が飛ぶ。ヤマグチはトランクを閉め、のらりくらりと駆け引きを続ける。相手は大人数で、一枚岩ではなかった。ヤマグチは勝負をかけた。

「こっちは自分の借金じゃないのに返そうってんだ。金も持ってきた。もめてるのはそっちだろう。本当に実印があるのか。見せてくれ」。リーダー格が実印を持ってくる。ヤマグチは、それとなく実印を手元に引き寄せ、ふたたびトランクをドンとテーブルに置いた。蓋をあけ、男たちの目が札束に吸い寄せられる。と、その瞬間、トランクの陰の実印を宮澤のポケットにそっと滑り込ませ、「宮ちゃん、トイレ我慢してるんだろ。行ってこいよ」と促した。宮澤はトイレに立ち、そのまま刑事が張り込んでいる喫茶店に駆け込んだ……。

 任侠映画のような修羅場をくぐり、幼稚園は「ピーターパン幼稚園」と名を変えて再開した。数年後、ヤマグチは悪性腫瘍で亡くなる。親友の死を乗り越えるには長い歳月がかかった。

 ■会社を乗っ取られ負債、裁判は個人で受けて立つ

 そして、91年、人生最大の難関、会社の乗っ取りに遭う。概して急成長した組織は財務が甘い。宮澤は大手生保財務部長と知り合い、乗りだしたばかりの健康ランド事業の会社経理を任せた。財務部長は自営業並みの経理を一流企業レベルに高めてくれる、はずだった。が、裏で三重帳簿をつくって健康ランドの入会金を株式投資にぶち込む。バブル崩壊で、株価は暴落。彼は学校の資金にも手をつけ、ぜんぶ乗っ取ろうとした。

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