昔の自分にも心の中で声をかけた。「苦しかったけれど、がんばったね」「今、元気にしているから大丈夫だよ」。すると、楽しいこともいろいろあったはずなのに、それをひとまとめに悲しい記憶として封印してきた昔の自分がすごく気の毒に思えた。これからはそれを受け入れよう、と。
「清姫の中に降り立ってみたら、自分自身が解放されて、帰るときはものすごく心が楽になったんです。それは撮影には直接関係ないんですけれど、すごく重要なことで、作品づくりがより解放されるほうに向かっていった」
子どもの絵を目にして「創作って、そういうことなんじゃないかな」
今回、それとはまったく別の理由でも自分をさらけ出したという。理由を聞くと、「子どもができたことで自分が破壊されてしまって(笑)」。
当たり前のことだが、小さな子どもに紙と絵筆を持たせると、大人の思惑にはまったくとらわれない絵を描いていく。それを見て、古賀さんは感動したのだ。
「がばーっと、絵の具を(笑)。そうしたら、すっごくいい色の組み合わせとかになっていくわけですよ。すっごく自由な絵が次から次にできるものだから、衝撃を受けて。自分の写真と見比べたら、絵のほうがいいや、と思って(笑)」
正直、私からすればただの親バカである。でも、(その気持ち、よくわかるなあ)と思い、うなずいた。
「創作って、そういうことなんじゃないかな、と。私ももっと自由に解放されて作品をつくってみようと思ったんです」
思いついた撮影手法は何でも試してみることにした。これまで一回も使用することのなかったストロボを初めて使った。赤外線フィルターも装着してみた。ボケ表現にも挑戦した。
すごく真剣に撮影した写真ににじみ出たこっけいさ
撮影手法以外にもユニークなものに、小道具として使った能面がある。清姫は恋心と怒りに燃えて安珍を追いかけるうちに「般若」となり、さらに怒り狂って「真蛇」となる(最後は「蛇身」に)。
「それをどう撮ろうかと思ったとき、この物語は最初にお能で表現されたので、お面をお貸しいただいたんです。人間は普通の表情をしているけれど、人に言えない悲しみや苦しみ、怒りを抱えているときがある。だから、普通のところで写したいと思って、知り合いの八百屋さんと商店街のおにいさんに『協力してくれない?』と、声をかけた」
あの怖い仮面をつけて買い物をする女性の姿を見ると(また心がチクチクする)、すごく真剣に写しているに違いないのだが、どこかこっけいさがにじみ出ている。「だから、ああ人って面白いな、と思うんです」。
作品では多面的な世の中や人の気持ちをさまざまな側面から描きたかった。「それができたのは私一人の力じゃなくて、みんなのおかげ」と、古賀さんはしみじみ語る。
「今回は本当にみんなに助けられた。家族や知り合い。娘の面倒を見てくれた両親もそうだし。まわりの人がつくってくれたようなものです。私はみんなに変なことをやらせて、いい具合のところで撮っただけ。写真の構成も初めて人に委ねた(もちろん古賀さんも加わっている)。今までの作品づくりとは違いますね。みんなを巻き込んで、みんながひと肌脱いでくれたからできた作品です」
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
【MEMO】古賀絵里子写真展「BELL」
ニコンプラザ東京 THE GALLERY 10月23日~11月16日、
ニコンプラザ大阪 THE GALLERY 11月26日~12月9日。
同名の写真集(赤々舎、A4変形判、160ページ、6千円+税)を会場で先行発売する。