撮影:古賀絵里子
撮影:古賀絵里子
今まで目を背けてきたこの物語に取り組むしかない

 聞くと、かなり前からそう思っていたという。しかし、実際に写真でこの物語を表現するのはあまりにも荷が重かった。この伝説をモチーフに連綿とつくられてきた作品が思い浮かぶ。だから、「生半可に手をつけたら火傷する」。

 そんな古賀さんの背中を押したのは2年ほど前、「写真展を開きませんか?」というニコンイメージングジャパンからの申し出だった。

「それで、今まで目を背けてきたこの物語に取り組むしかないと思ったわけです。非常にプレッシャーでした」

 どう表現すれば写真で描けるのか、考え続けた。そして、物語のシーンを現代の場面に置き換えて撮ることを思いついた。

「清姫を自分とか、娘、友だちに。安珍を主人たちお坊さんとか、普通の男性で表現したら面白いんじゃないかと思ったんです」

 ただし、ある程度はストーリーに沿って、見る人が理解できるようにしなければただの自己満足で終わってしまう。そうならないように場所をセッティングし、演じる人を選ばなくてはならない。物語のシーンをパズルのピースに見立て、そのピースを一つひとつはめ込むように撮影を進めていった。

「考えて、撮る。撮ったら、考える。その繰り返し。一筋の糸をつかみながら、少しずつ前に進んでいく感じ。撮影を始めたとき、子どもがまだ2歳くらいだったんです。いちばん手がかかる時期。育児に家事、檀家さんも来るし。もう、ほんとうにパッチワークみたいに、時間を縫い合わせてやっていました」

撮影:古賀絵里子
撮影:古賀絵里子

泣き叫ぶ娘。それを制する夫。2人の視線の先には入水する母の姿が

 いちばん最初に撮影したのは清姫の入水シーンだった。印象的な薄暗いモノクロの連続写真で、ぼんやりと砂浜の波打ち際に立っていた人影が吸い込まれるようにかき消され、何もない海になる。

「あれは私なんですよ。セルフポートレート。作品をいきなり入水シーンから撮ったという(笑)。私は恋愛がつらすぎて、自殺未遂というか、飛び降りたいと思ったことがあるんです。清姫が入水したなら、その気持ちにちょっとでも触りたかったから、私も水に入ってみようと思った」

 訪れたのは誰もいない9月の生温かい海。砂浜に雨が降っていた。泣き叫ぶ娘。それを制する夫。2人の視線の先には入水する母の姿が。なかなかシュールな撮影シーンである。

「ここで、ああ死ぬって、こういうことなんだ、と一つわかったんですね。自分の温かさを自分自身で手放すことなんだと。でも、きっと清姫はそれどころじゃなくて、もう絶望だけで温かいものはなかったかもしれない。だからそれを手放すことをわからないうちに死んだかもしれない。そういう気持ちに重なり合いたくって、このシーンを撮った」

「でもね、家族にとっては大迷惑ですよ(笑)。休みの日は全部撮影ですもん。みんなを連れて、あちこち行きました」

 家に近い京都の周辺、道成寺のある和歌山県のほか、実家のある福岡県でも撮影した。それでも、特徴ある景色はあまり写り込んでいないため、撮影地が異なることは気にならない。

撮影:古賀絵里子
撮影:古賀絵里子

死にたいと思ったマンションの場所に立ってみた

 ところが作品の中に引きの写真で、ぱっと見、東京であることがわかる1枚があるのだ。しかも、わざわざ高い位置から見渡すように撮影している。不思議に思い、聞いてみると、「あれは娘を置いて、あえて一人で東京に行ったんです」。

「それはなぜかというと、清姫が安珍に恋をしますね。追いかけて最終的に殺しちゃうわけですけれど。その恋愛の激しさとか、やるせない気持ち、悲しみみたいなもの――私が本当に忘れたかったもの。それを思い出したかったから。今は結婚して、子どもがいて、とりあえず落ち着いた暮らしをしているわけですけど、東京に住んでいたときの恋愛のつらい経験には自分の中でふたをしてきたんです。そこに向き合った。死にたいと思ったマンションの場所に立ってみたり……。駅を降り立つと不思議なもので、足が覚えているんですね。風景はちょっと変わっているけれど、ああ、私、あのときこういう気持ちだった、と。清姫の気持ちも、ああそうか、と」

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