週刊朝日連載「野坂昭如の清談俗語」のゲストに招かれた横井庄一さん夫妻=1973年
週刊朝日連載「野坂昭如の清談俗語」のゲストに招かれた横井庄一さん夫妻=1973年

 まずは報道をたどる。帰国当日(72年2月2日)の朝日新聞夕刊。記者会見での言葉は、「私、横井庄一ははずかしながら生きながらえて帰ってきました」。「天皇陛下さまからいただいた小銃はちゃんと持って帰ってまいりました」という言葉もあり、その方向で「帰って参りました」が定着したと想像する。

「週刊朝日」をさかのぼる。72年5月5日号表紙が山藤章二画伯の横井さんのイラストだった。「横井庄一、はずかしながらふとって参りました」の文字と、黒眼鏡を外して泣く画伯の自画像も。

 以後、横井さんの週刊誌報道は「恥ずかしながら」だらけ。結婚(72年11月)、参院選立候補(74年=落選)と、それと相性のいい出来事も多かった。97年の死、さらに今年5月の妻・美保子さんの死までたどったが、「よっこいしょういち」は見つからなかった。

 流行に詳しい山田美保子さん(コラムニスト、放送作家)に話を聞いた。57年生まれで母方の祖母が戦争で夫と息子2人を亡くしていることもあり、横井さんの帰国時は胸が締め付けられたという。結婚相手が同じ「美保子さん」だったことがミーハー心にうれしく、旧姓の「幡新さん」を今も覚えている。

 そんな山田さんにとって「よっこいしょういち」は気づけばあった昭和のギャグで、最近(といっても10年近く前)では女優の杏さんがトーク番組で「使ってしまう」と紹介したのが印象深い。「歴女で読書家の杏さんだから知っている古いギャグで、年齢とのギャップも絶妙。さすが杏さんだと思いました」

 そうか、流行語でなくギャグか。その視点で探したら、あった。2000年に発行された『オヤヤンテスト』。オヤジかヤングか判定する本。登場する「部長・親島耕作」がボウリング場で言っていた。「まず俺からいくよ。よっこいしょういち」

 構成と文を手がけた放送作家の笹川勇さんは68年生まれ。実家は長野県の白菜農家で、小学生の頃から収穫の手伝いをした。そこで大人たちが言っていたのが「よっこいしょういち」。段ボールを持ち上げる時、お茶休憩から立ち上がる時。だから、体を使う職業で「よっこいしょういち」は広まったと推測する。

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