『できることならスティードで』
加藤シゲアキ著
朝日新聞出版より、3月6日発売予定
本書は、NEWSのメンバーであり、また、すっかり作家としての活動も定着した加藤シゲアキによる「旅」をテーマにした初エッセイ集(合間に掌編小説も収録)である。ページをめくれば、ヘミングウェイを片手にキューバに行き、嵐の大野くんと釣りに行き、岡山で再会した祖父を追憶し、スリランカでジェフリー・バワの建築に舌を巻き……といった著者の足跡が確認できる。なかでも、グラミー賞授賞式を観た著者が、ジャネール・モネイの言葉をきっかけに、差別と多様性について考えを深めていく「ニューヨーク」編は、本書におけるハイライトのひとつだろう。
さて、そんな「旅」をテーマにした本作だが、読み進めると、その根底に、ゆたかな身体の感覚が流れ続けていることに気づく。例えば、「僕が品川で降りるまで、彼女たちは一度も姿勢を崩すことなく、背中が背もたれにつくこともなかった」(「大阪」)といった、芸妓の身体に対する細やかな視線。あるいは、「上下(かみ しも)で登場人物を演じ分け、会話と表情とちょっとした動きのみで物語を進めていかなければならない」(「時空」)という、落語に挑戦したさいの身体への微細なこだわり。歌やダンスなど自らの身体を使って人々を魅了することを求められる著者は、他の作家と比べたとき、明らかに身体に強い意識を向けている。
このことはもちろん、著者が頭を使わないことを意味しない。それどころか、アイドルとしての著者はむしろ、身体を動かすさい、かなり意識的に頭を使っている。「人より身体能力が秀でたことはなく、技術も低いという自覚がある。しかし、だからこそ頭を使って身体づくりに励まなければ、歌やダンス、芝居などのあらゆる芸事に対応できる肉体に近づくことはできない」(「肉体」)と。ようするに、アイドル‐作家を貫く著者は、頭と身体がひとつらなりであるような、そんな「連動」の感覚のなかで毎日を過ごしているのだ。加藤シゲアキは、歌って踊るように物事を考え、深く内省するように身体を動かしている。そのことがとくに示されているのは、自身のライヴのパフォーマンスについて書かれた一節である。身体と思考の複雑な絡み合いが書かれた以下の一節は、とても興味深い。