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 瀬古利彦さんとともに、日本の男子マラソン界をリードした宗茂、猛さんの双子兄弟。弟の旭化成陸上部総監督の猛さんが、同社の陸上部の歴史と瀬古さんとの激闘を語る。

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 陸上部は76年を超える歴史があります。全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)には第1回から出場(2~7、30回不参加)し、25回優勝しています。

 陸上部は戦後、若い社員のエネルギーの発散の場として作られました。広報活動の一つとしてスポーツに力を入れる企業もありますが、旭化成は社員向けの存在という意味合いが強いのです。

 私を含めて陸上部のメンバーは社員であり、仕事をしつつ陸上部の活動をしています。競技から引退しても会社を辞めることなく、仕事を続けています。会社と共に陸上部も宮崎・延岡の地域に溶け込んでいて、選手が走る姿は風景の一部になっていると感じます。

 私は1971年に双子の兄の茂と入社し52年目になりました。当時のライバルの瀬古利彦さんは、いつも私たちの後をコバンザメのようについてきて、私たちは最後に抜かれるというパターンでした。瀬古さんに勝つにはどうしたらいいかを考え、瀬古さんを先に行かせ、ついていこうとしたら、彼もペースを落とすんです。それでスタミナで先行して引き離すしかないとペースを上げても最後の最後でやられるんですよ。

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