「52歳で第一線を退い」たというのは、近代以前の日本仏教の「聖(ひじり)」「隠者」を思わせる。「あとがき」では、「各種の学会、研究会も辞め引きこもりだった」、「八ヶ岳に山小屋を建てて、週の前半は東京で、後半は山の暮らしを楽しむ生活になった。山歩きである」という。しかし、その20年間に実は、「地域で暮らしている高齢者や精神障碍者へのかかわりが中心になった」ともいう。「一人ひとりが違った。体系化できることではなく、テーマは広がっていった」。
それを反映して、本書には「老い」についての独自の省察がふんだんに盛り込まれることになった。認知症やせん妄をめぐる老年精神医学の専門的な課題に関するわかりやすい解説も大いに助けになる。また、サルトルの晩年を見守り、看取り、自らの老年についても積極的に語ったシモーヌ・ド・ボーヴォワール、ナチスの強制収容所での自らの体験をも踏まえた著作を残し、1978年に66歳で自殺したジャン・アメリーの『老化論』、国文学者で106歳まで生き、「長寿の秘訣は恋愛」などと放言し自由奔放に生きた物集高量(もずめ たかかず)のことなど、興味深い逸話が諸所に埋め込まれている。
だが、ここでは、老いの「不安・抑うつ」にいくらかなりと覚えのある私としては、身につまされる事例をひこう。第5章「隠喩としての『認知症』」の4「『ごみ屋敷』は個性的である」という節からである。
「ごみ屋敷」の主の多くは認知症ではない。著者が出会った75歳の老人は大腿骨骨折で入院し認知症と診断され、役所は妻の同意を得て特養入所を手配した。
「お宅の庭はごみの山と聞いているが」と話を向けると、「あれはごみではない。直せば使える」とさらりと受け流した。ここはよいところだと言って淡々と特養の生活に適応していた。(179ページ)
十分な生活能力をもち、彼を認知症というのは難しいとし、彼にとって「特養は安全な場所だった」と著者はいう。このように老人の生活実態と「不安・抑うつ」に即して臨機応変に対応していくこと、専門知を超えたそうした知恵こそが重要なのだと著者は述べている。そのような知恵を大切にしつつ老い、老いを深く省察しつつ死を迎えた著者の姿が浮かぶように感じる書物である。