■配給会社経営 黒崎政夫さん(65)

 それはスペイン・バルセロナ行きの飛行機の中から始まった。あるイタリア映画を機内サービスで見た黒崎政夫さんは、いっぺんに心を奪われる。高校生の男女3人が、性的偏見や社会通念などにあらがいつつ友情をはぐくんでいくという青春もので、重いテーマながらミュージカルシーンを交えた楽しい表現に衝撃を受けた。

「行きと帰りで7回見ました。早く日本語字幕付きで見てみたいと思いましたね」

 2016年夏のことだった。

黒崎政夫さん(撮影・藤井克郎)/黒崎さんが会社を起こして購入した映画「最初で最後のキス」 (c)2016 Indigo Film-Titanus
黒崎政夫さん(撮影・藤井克郎)/黒崎さんが会社を起こして購入した映画「最初で最後のキス」 (c)2016 Indigo Film-Titanus

 だが調べてみると、日本ではどこも配給権を取得していない。若いころ、イタリアに留学した経験のある黒崎さんは、本国の権利元とメールをやりとりする中で、手が出ない金額ではないことを知り、自ら日本で公開することを決意する。

「でも買った後で、宣伝費などがかなりかかったんですけどね」と苦笑する。

 個人には売ってくれないため、会社の作り方などが書かれた本を読みあさり、その年の暮れに「日本イタリア映画社」を設立。翌17年1月にはローマに飛んで契約を結んだ。

 こうして配給権を手に入れた作品は、「最初で最後のキス」の邦題で昨年6月に公開。全国21館と二つの映画祭で上映され、今年4月にはDVDも発売された。

「特に30代くらいの女性からの反響が大きかった。でも、なかなか元は取れません」

 大学時代、イタリア文化に興味を持った黒崎さんは卒業後、イタリアで映画を学びたいと留学。語学学校に通うものの、半年後に父親の病気で帰国を余儀なくされ、スーパーのダイエーに就職する。

「総務や人事といった部署でしたが、作業の流れを改善したりして仕事は面白かった。映画はあんまり見ていませんでした」

 45歳で早期退職し、社会保険労務士を目指すが、母親が亡くなったこともあり、60歳まで郵便局で勤める。退職後は、東京都内にある自宅をリフォームして民泊として活用するなど、悠々自適の生活を送っていたが、死ぬまでに一度は見たいと思っていたサグラダファミリアに行こうとバルセロナ旅行を計画。その機内で運命の映画と出合った。

「新しいことを始めるのに年齢は関係ないと思っている。カーネル・サンダースがケンタッキーフライドチキンを始めたのは65歳のときだそうですし、どこで人生が変わるかはわかりません」

 こう話す黒崎さんは、その後、新たに3作品を購入。イタリア映画の魅力をこれからも発信していきたいと意欲をのぞかせる。

「映画の魅力は、自分の知らない世界を味わうことができること。イタリア映画のファンが一人でも多く増えてくれたらいいですね」

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