天空にそびえる「横浜市開港記念会館」の時計塔は「ジャックの塔」と呼称されて親しまれている。本町一丁目(撮影/諸河久:1966年2月19日)
天空にそびえる「横浜市開港記念会館」の時計塔は「ジャックの塔」と呼称されて親しまれている。本町一丁目(撮影/諸河久:1966年2月19日)

■大活躍した「ハマのエース」
 
 別カットは本町通りを東に進んだ本町一丁目の停留所に停まる8系統桜木町駅前行きの市電1500型。この1500型は、1950年に横浜版準PCC車として登場した。新型防振台車、間接自動制御を採用した高性能車で、まさに「ハマのエース」。市電廃止まで活躍した。

 市電の真後ろの時計塔のある赤煉瓦の建物が「横浜市開港記念会館(旧称:開港記念横浜会館)」で、1909年に横浜開港50周年の記念事業として計画され、1917年に竣工した。関東大震災で罹災したが、1927年に再建されている。1989年に建設時の姿に復元され、国の重要文化財に指定された。高さ36mの時計塔は「ジャックの塔」と愛称を付けられ、横浜三塔の一つとして親しまれている。
 
■横浜市電は「単車天国」

 筆者が横浜市電を撮り始めたのは1962年だった。当時、営業距離51300m/15運転系統/総旅客車204両を擁していた。横浜市電の特徴は、都電や玉電ではとっくに淘汰されてしまった四輪単車が、現役で活躍していたことだ。1960年代に入っても5形式86両も在籍しており、総旅客車の42%を占めていた。関西の神戸市電と双璧をなす「単車天国」だった。

市電の乗降客で賑わう横浜駅前風景。横浜駅東口駅前の歩道から200mm望遠レンズで撮影した一コマで、背景には紅葉ヶ丘丘陵が遠望される。(撮影/諸河久:1964年4月26日)
市電の乗降客で賑わう横浜駅前風景。横浜駅東口駅前の歩道から200mm望遠レンズで撮影した一コマで、背景には紅葉ヶ丘丘陵が遠望される。(撮影/諸河久:1964年4月26日)

 別カットは国鉄(現JR)横浜駅東口駅前の歩道から、横浜駅前停留所に停車中の7系統中央市場(ちゅうおういちば)行き500型四輪単車を撮影している。ここは国道15号線上に狭い安全地帯があり、1・2・3・7・11・12の六系統の乗降客で溢れていた。

 横浜市民の台所「中央市場」に通う7系統は、この先の神奈川会館前で神奈川線から右に分岐して、終点の中央市場に向かっていた。全線600mの中央市場線だけが単線で敷設されていた。

 ちなみに、500型は空気ブレーキを備えた近代的な低床式四輪単車で、1928年に東京瓦斯電気工業(後年の日野自動車)の製造。500型45両に同型の戦災復旧車600型15両を加えた60両が、四輪単車の主力として「単車天国」を支えた。

 横浜駅前停留所があった場所は、首都高速横羽線金港ジャンクションの高架道路が建設され、上空と遠景の視界が閉ざされてしまった。画面背景の左端に、紅葉ヶ丘にある「神奈川県立青少年センター」屋上の天文室ドームが写っている。1962年の設立以降、プラネタリウムとともに青少年の科学体験学習を支援してきたが、2003年のリニューアル工事で撤去されている。

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