現実は違った。セブンの日販(1日当たりの売上高)の全店平均は60万円超。しかし新山さんの店は、月平均で50万円に達することすら珍しかった。

 それでも2000年代はアルバイト従業員を十分に雇い、何とか回していくことができた。だが、人手不足の波は、じわじわと新山さんの店の経営を脅かしていく。

「ここ7、8年は時給を上げて従業員を募集しても、最低賃金がどんどん上がっていき、追い付かなかった」

 次第に、新山さん自身が深夜のシフトに入る日が増えていった。夜間帯の納品は妻が手伝ってくれたが、疲労は蓄積する。仕事中に目まいがするようになり、帰宅途中に自動車事故を起こしたこともあった。思い詰めた末にしたためた改善提案書だったのだ。

 こうした状況に本部が解決策として提案したのは、勤務時間を応募者が選べるようにすることや、店頭で募集のチラシ配り、店の奥の事務所の整理、従業員に仕事を分担してやりがいを持たせる──といった、根本的な解決策には程遠いものだった。

 仕方なく新山さんは店に立ち続けたが、とうとう今年1月、本部に閉店と契約の解消を要望した。時短をしてでも営業を続ける気力は、もう残っていなかった。

 それでも本部はなかなか取り合わなかった。しかし、新山さんが「経緯を全部マスコミに話す」と告げたところ、本部の態度は急変。3月末に閉店にこぎ着け、コンビニ経営から“解放”された。

 閉店時に在籍していた従業員数は、家族を除くと6人。通常ならば、1店当たり25~30人は必要とされている。

「休むこともやめることもできない。最後の3、4年は本当に地獄だった」と新山さんは振り返る。

(ダイヤモンド編集部 岡田 悟:記者、大矢博之:副編集長)