リソースを確認し、意志をまとめ、どこに向かうのかを決める。ビジョンづくりとは、一言で言えば、これに尽きます。ことばにすればこれだけですが簡単ではありません。自治体や国も同様です。
この難事に手をこまねいているのがバブル崩壊以降の日本ではないのか。この思いは、この十年強まりこそすれ弱まることはほとんどありませんでした。私個人に宿った、こうしたある種の義憤(人によっては滑稽に感じるでしょう)が、この本を書かせたといっても過言ではありません。つまり、怒りと危機感が執筆の原動力です。
「ビジョン」は、未来に対する羅針盤の役割を果たします。古代であれば闇夜の航海での星の役割を負っています。現代であれば目的地を入力したGPSです。
しかし「ビジョン」は一企業や一個人の夢ではありません。優れた「ビジョン」はいずれも他の人間を巻き込んでいく魅力を湛えているからです。
パーソナルコンピューターの概念をつくったアメリカの学者アラン・ケイに「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」という有名なことばがあります。これを「ビジョン」から読み替えるなら、次のようなことばになるかもしれません。
「未来を創造する最善の方法は、
ビジョンを生み出すことだ」
私たちが、望む未来を生きたいと願うなら「ビジョン」を生み出すことでしか、それは達成できません。日本と日本人は、この30年、リアクション、つまり外界の状況に反応することでしか生きてきませんでした。いわば、それは未来を他人に預けた状態です。主体的に生きる、ということは「ビジョン」を描き、その「ビジョン」実現を目指すことに他なりません。
この本に通奏低音のように流れているのは、日本人に「そろそろ、そういう生き方をしませんか?」という問いかけなのです。