批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
* * *
今年は激動の年だった。新型コロナの混乱が続くなかで年が明け、2月にはロシアがウクライナに侵攻、世界は核戦争の危機とエネルギー不足に振り回された。
国内では7月に安倍晋三元首相が銃撃され、夏の政局は国葬と旧統一教会で塗りつぶされた。五輪汚職が明らかになり、内閣支持率も円も下がった。
ネットに目を向ければ、年初に騒がれたメタバースは一向に普及せず、10月にはイーロン・マスク氏がツイッターを買収、他方で11月には暗号資産交換所のFTXが破綻(はたん)し翌月創業者が逮捕されるなど、信頼を失墜させる事件が相次いだ。ビットコインの相場はこの1年で3分の1に下がっている。
感染症、戦争、テロ、エネルギー不足、政治不安にネットバブルの崩壊と、いずれも質が異なる現象で安易に繋(つな)げるべきではない。とはいえ全体的に「嫌な時代」になってきたのは確かだ。個人も国家も猜疑心(さいぎしん)に囚(とら)われている。
それを平和の価値が問われたと捉えることもできる。日本では長いあいだ平和は絶対善だった。それがこの1年で風向きが変わった。ウクライナ侵攻後、停戦を訴える言葉はロシアを利する思考停止として批判を浴びるようになった。防衛費増額が決まり、台湾有事も公然と語られるようになった。
しかし個人的には、このような時代だからこそ、平和の価値を改めて訴える必要があると考えている。平和への願いは決して情緒的な現実逃避ではない。平和が必要なのはそれが統治のコストを劇的に下げるからだ。人や国が正義を振りかざして戦いあう世界は、端的に経済面で維持不可能なのである。「万人の万人への闘争」に備えるより、それを回避する社会契約を結んだほうがよいというのが、近代の教えだった。
人間は空気で動く動物だ。みなが「嫌な時代」だと思えば時代は現実に悪くなる。12月にも、ドイツで極右勢力が国家転覆を図り逮捕されるという驚きのニュースが飛び込んできた。昨年の今頃は日本で元首相が暗殺されるなど想像もできなかった。来年の年末、意外に平和な年だったと書けることを祈りたい。
◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2022年12月26日号