もう限界。しかし、バスは満席で逃げ場はない。結局ほとんど眠れぬまま、悪臭とノミの不快感に耐え続けるしかなかった。
NYに戻り、この話を友人にすると「だから言ったじゃん」と呆れられた。
彼らが懸念していたのはこうした変人が隣に座るリスクであり、アメリカ南部を走る長距離バスではその可能性が決して低くないのだという。
けれど、ひどい目にあったのは確かだが、グレイハウンドの旅を嫌いにはなれなかった。
当たり前だが、クレイジーな乗客は極めて少数派でほとんどは普通の人だ。一度乗り換えの際に、例のおっさんから離れた席に移ろうとしたところ、彼はニヤニヤしながら追ってきた。すると見かねた黒人のおばさんが「あんた、私の隣に座りなさい」と助けてくれた。
またアメリカの国土の広大さを体感できるのも魅力だった。
NYを出発した際は大雪が降っていたが、走り始めて2時間ほどで雪が消え、さらに行くと花を咲かせた木々が視界に入り始める。まるで冬から春へ、季節を早送りしているような感覚。ニューオーリンズの手前の停留所・モンゴメリーでバスを降りると、初夏の香りが感じられて思わず歓声をあげた。陸路を行かねば決して得られない達成感が確かにあったのだ。(文/小神野真弘)