関西風にいうなら「いっちょかみ」ですかね。何にでも口を挟まずにはいられない人。その傾向は私にもあるけど、この人ほどではないな。武田砂鉄『日本の気配』は<一億総忖度社会の日本を覆う、危険な「気配」を追うフィールドワーク>(帯より)だ。
空気ではなく気配。「空気」として周知される前段階にあるのが「気配」という。紋切り型の報道、誠意のカケラもない安倍首相のスピーチ、適当な議論でお茶を濁している国会、整合性のない発言を繰り返す政治家、もっともらしい言説を垂れ流す文化人。そうした人々の言葉尻に、著者はねちねちとまあ、からむからむ。
政治家が謝罪の際にしばしば使う「誤解されかねない発言」という表現は<受け取る側の能力不足を匂わせることで、自身の失言自体をうやむやにする>手法である。稲田朋美元防衛相は「誤解だ」を35回も繰り返し、いちいち指摘するなという声まで出たが<ふざけるんじゃない、と思う。いちいち指摘するべきだ>。
芸能人がよく使う「させていただく」が気に障る。SMAPの解散を知らせる事務所のFAXには「ご報告させていただきます」「解散させていただくことになりました」「音楽番組を辞退させて頂いた」「解散させていただくことになりますが」と「させていただく」表現が4度も出てきた。<一方通行に含まれた配慮には、経緯を包み隠したまま終わらせようとする思惑を感知してしまう>
<考えすぎだよ、と言われることが少なくない。考えなさすぎだよ、と思うのだけれど、考えすぎだよ、という投擲はなかなか強敵で、そんなことないよ、と返したり、今、こういうことが起きているんだよと例示してみても、いつまでも、考えすぎだよ、が通じるのだ>
よくわかるよ。雑な言説を前に<徒労感はあるけれど、繰り返し指摘しなければ、ますますこの国の空気を、気配を、自由気ままに握られてしまう>と思えばこそのボヤキ芸。<貧相な言葉を放任する優しさが、先方の暴力を作り出している>という指摘は重い。
※週刊朝日 2018年7月27日号