「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコ世界文化遺産に登録の見込みとなった。潜伏キリシタンって何? 隠れキリシタンとはちがうの? と思った人もいるのでは。宮崎賢太郎『カクレキリシタン』はそんな疑問に答えてくれる本である。

 1549年、フランシスコ・ザビエルによって伝えられたキリスト教は急激に信徒を増やしたが、1614年に禁教令が出され、1644年には最後の宣教師が殉教し、一人の指導者もいない信徒だけの時代に入った。潜伏キリシタンとは、ここから明治政府が禁教令を撤廃した1873年まで、約230年にわたってキリシタンの信仰を守り通した人たちを指す。

 ところが、禁教が解かれた後もカトリックに復帰せず、潜伏時代の信仰形態を守り続けた人々がいた。それが著者のいう「カクレキリシタン」で、〈彼らは隠れてもいなければ、キリシタンでもない〉ためカタカナ表記。つまり潜伏キリシタンとカクレキリシタンは別物で、本書は長崎県の五島列島、外海地方、平戸島、生月島などに今も残るカクレキリシタンを丹念に調査した本なのだ。

 仏教を隠れ蓑にひっそりキリスト教の信仰を守り続けたというイメージに反し、〈歴史的にも仏教とキリシタンは共存関係にあった〉と著者はいう。ラテン語の祈祷の言葉が伝承されて呪文のようになったオラショ。「経消しのオラショ」を唱え、仏式の後にキリシタン式の儀式を行う二重の葬儀。殉教者を祭ったキリシタン神社。今日に伝わるカクレキリシタンの風習はむしろ独自の宗教に近い。

 潜伏前のキリシタンも〈多くの民衆の場合は、数回説教を聴いた程度で洗礼を受けるのが普通〉。〈従来のさまざまな神仏を合わせ拝む多神教的な信心に、新たに天竺渡りのもっとパワフルな、なんでも願い事を叶えてくれそうな神がプラスされたというのが実態に近いのではなかろうか〉

 副題は「現代に生きる民俗信仰」。ベールに包まれたキリシタンの実態を大胆に読み解いた労作。知的好奇心を揺さぶられます。

週刊朝日  2018年6月8日号