セクハラ疑惑で辞職した財務省の福田前事務次官。セクハラ問題などにより、今年はノーベル文学賞の発表を見送るとしたスウェーデン・アカデミー。「セクハラ罪という罪はない」と麻生財務大臣はふんぞり返るが、そんな戯れ言が通る時代じゃないのよね。
とはいえ、セクハラってよくわからんという人はまだ多い。牟田和恵『部長、その恋愛はセクハラです!』はそんな人に光明をもたらす本である。〈「絵に描いたような」セクハラ男はめったに存在しません〉と著者はいう。〈ほとんどのセクハラはグレーゾーン〉で、だから加害者と被害者の間で認識のズレが生じる。特に面倒なのは恋愛感情がからむ場合だ。
たとえば、職場の飲み会で「今度デートしよう」と上司が身体を寄せてきた。部下は内心ゾッとしつつも、曖昧な微笑でゴマカした。彼女はNOの意思表示をしたつもり。ところが彼は恥じらいつつのYESと受けとり、積極的にモーションをかけてきた。
後日、彼女は「しつこく交際を迫られた」と訴えた。上司にとっては寝耳に水で「合意の付き合いだった」「彼女もその気だったはず」と主張する。だけど彼女は「上司だから断れなかった」。
あな、おそろしや。セクハラは恋愛(妄想を含む)と紙一重なのだ。「あんなにいい雰囲気だったのに」という言い分は〈おめでたい男性の妄想〉である場合が多く、それどころか〈中高年男性が「モテる」のは、地位と権力が九割がた〉だと著者はいいきる。たとえ寝耳に水でも〈鈍感はセクハラの免責にならない〉し、本気で好きでも〈「真剣な気持ちなら許される」と思うのは大間違い〉だと。
では、どうするか。〈グレーゾーンのセクハラは、その後の対処次第でどちらにも転びます〉という言葉をかみしめたい。対処法を誤ると、ぎりぎり許容範囲の事案でも〈真っ黒のセクハラになってしまうのです〉。大切なのは〈気付かなくて悪かった、と素直に謝り、その言動を繰り返さないことです〉。そうなんですよ、福田さん、麻生さん。
※週刊朝日 2018年5月25日号