母の日が目前に迫っていますね。みなさんは母の日贈り物はもう決めましたか?母の日の贈り物聞いてカーネーションを思い浮かべる方が多いかと思います。カーネーションは古くから多くの人々に親しまれており、今では数千もの品種があるんです!
今回は、カーネーションと母の日の歴史をご紹介します。

可憐な花は肉の色?

カーネーションの歴史は古く、古代ギリシャ時代に旧ソ連のコーカサス地方で生まれたそうです。カーネーションの語源には諸説ありますが、ラテン語で「肉色」を示す「Incarnation」からきたのではないかと言われています。花の名前の語源が肉の色とは、驚きですよね。しかし、大きいフリルのような見た目のカーネーションはとても可愛らしく華やか。ヨーロッパでは昔から、多くの芸術作品でその美しさが表現されています。また、古代ギリシャの時代には、カーネーションで作った華やかな冠をギリシャ神話の主神であるゼウスに捧げていたそうですよ。
このように、西洋で長く愛されていたカーネーションが日本にやってきたのは江戸時代初期のこと。オランダの船でやってきたカーネーションは、「オランダナデシコ」「オランダセキチク」などと呼ばれていました。また、香りのよさから「ジャコウナデシコ」との呼び名もあります。大正時代になると栽培の基礎が確立されるようになり、日本でも人気の花となったのです。

母の日にどうしてカーネーションを贈るの?

「母の日といえばカーネーション」、「カーネーションといえば母の日」、と言っていいほど母の日にカーネーションを贈ることが日本では定番化しています。それでは、どうして母の日にカーネーションをプレゼントするようになったのでしょうか。
母の日はもともと、アメリカのアンナ・ジャービスという人物のある行動がもととなっていました。彼女は、愛する母の命日に追悼会を開いた際、参加者に母親が好きだった白いカーネーションを配ったのだそうです。その彼女の行動がアメリカで広まり、後に母の日が国民の祝日となったのです。そして日本に母の日がやってきたのは明治時代の末期。母の日が広まり始めた当初は、皇后の誕生日であった3月6日が母の日とされていたようです。
プレゼントするカーネーションの色ですが、アンナ・ジャービスは健在の母親には赤色を、亡くなっている母親には白色のカーネーションを贈るように提案しました。しかし日本では、それが子どもの気持ちを傷付けてしまうのではないかという考えから、赤に統一されるようになったのだそうです。

今回は、カーネーションと母の日の歴史についてご紹介しました。カーネーションは、赤なら「母への愛」、ピンクなら「感謝」、青なら「永遠の幸福」、といったように、色によって花言葉が違います。母の日には、カーネーションで日頃の感謝の気持ちを表現してみてはいかがでしょうか。

<参考・参照>
広山均(2007)『南フランス 香りの花めぐり:花から学ぶ調香の秘訣』 フレグランスジャーナル社.
金田初代, 金田洋一郎(2010)『色・季節でひける花の事典820種』 西東社.
稲垣栄洋(2015)『身近な花の知られざる生態』 PHP研究所.
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