元々の言葉は、いずれも非常に重いものです。ただその総理大臣は、当時、沖縄基地問題で政策が右往左往しており、母親からの資金提供疑惑も連日報じられていました。まさに「理念なき政治」「労働なき富」を体現しているように見える彼が、いくら「重い言葉」を引用しても、とても軽く感じられたのを今でも覚えています。
「言葉が軽い」と思われないためには、「自分の内面の言葉」を育てていくことが大切です。その時、重要な役割を果たすのがノートです。日々の気づきを書いてインプットする。「ビジョン」を書くことで自分の「軸」をみつける。インプットした材料を話せる「ネタ」にする。ノートがなければ「あなたの言葉」は育ちません。
本書では、コピーライターや作家として、また講演やセミナーなどでも「言葉」を常にアウトプットしている私が、ノートを使ってどのようなインプットをして、どう活用しているかについて詳しく書きました。
本書の企画は、昨年の4月5日、担当編集者との打ち合わせからスタートしました。表面的なテクニックではなく、内面的な「言葉の力」の育て方を書く本にしましょうということで一致。その時、私は詩人として著名な大岡信さんの「言葉の力」の話をしました。『詩・ことば・人間』(講談社学術文庫)の冒頭に収録されているエッセイで、全体で27ページに及ぶものです。その最後の数ページにある「京都の染色家・志村ふくみさんと桜の木のエピソード」の部分が、リライトされて国語の教科書にも掲載されているので、読んだことがあるという方も多いでしょう。
桜の樹皮から美しいピンク色の染料が取れるのは、桜の花が咲く直前の頃だけのこと。それは「木全体で懸命になって最上のピンク色になろうとしている」からで、花びらは「それらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したもの」だという記述がとても印象に残ります。
私自身、「言葉は外に表れるものだけでなく内面からにじみ出てくるものが重要。内面のわきあがる気持ちや努力がなければ、本当の意味で人の心を動かす言葉は生まれない」という文脈のことを語る時に、よく援用させてもらっていました。
当然、担当編集者も知っていて、話し合っているうちに、内面の言葉を育てる方法を「言葉の木」という比喩で語っていこうということで意気投合しました。
つまり本書は、大岡信さんの「言葉の力」からインスピレーションをうけたものだったのです。
そしてその日、家に戻った私は驚きました。何気なく見ていたネットニュースで「大岡信さんが亡くなった」という記事を発見したからです。
こちら側の一方的な思い込みですが、ちょっと運命的なものを感じたといえば言い過ぎでしょうか。
それからちょうど1年後、この本が世に出たのも何かの偶然かもしれません。
大岡さんのエッセイでは、「花」が「(外に向けられた)言葉」の比喩でした。本書の中では「(外に向けられた)言葉」を「枝葉」という比喩で表現し、「花」はさらに一歩進んだ「人気(の源)」の比喩に使いました。でも、言いたいことは同じです。
どうしてもピンクの花を咲かせたいという心の奥底から湧き上がってくる「気」のようなものが「木」の中に溢れていないと、花はピンクに染まらない。それは言葉も同じということです。
本書は、そんな「気」のようなものを、あなたの「木」の中にどう湧き上がらせるか、について書いた本だと言えるかもしれません。
ぜひ書店で手に取っていただければうれしいです。