羽生結弦が金メダル、宇野昌磨が銀メダルを獲得した平昌五輪。副題は「日本男子フィギュアスケート挑戦の歴史」。宇都宮直子『羽生結弦が生まれるまで』はこの日を予測したような本である。

〈日本では、フィギュアスケートは、完全に女子のスポーツだった〉という話が印象的だ。1992年のアルベールビル五輪で銀メダルをとった伊藤みどり、2006年のトリノ五輪で金に輝いた荒川静香、10年のバンクーバー五輪で銀をとった浅田真央。日本の女子フィギュアは強かった。10年ほど前まで、男子フィギュアは女子の前座扱いだったのだ!

 日本で最初のスターになった選手は佐野稔。世界でも3回転ジャンプは2種類という時代に佐野は5種類の3回転を跳び、77年の世界選手権で銅メダルを獲得した。しかし、後が続かず、国際大会で活躍する次の選手・本田武史が出てきたのは20年後。本田は02年のソルトレイクシティ五輪で4位に入り、ひと月後の世界選手権では佐野以来の銅メダルをとった。それでも注目度は低かった。

 人々の目が変わったのは髙橋大輔の時代である。男子はテレビ放映もなく、あっても深夜枠。髙橋は「くそっ」と思った。〈ゴールデンタイムに放送されるようになりたい〉。織田信成、小塚崇彦と競い合う中、06年のトリノ五輪に出場するも結果は8位。しかし、4年後のバンクーバーで銅メダルをとると風向きは変わった。

 あるコーチの言葉。〈昔々のスケーターは『男が踊るなんて』という側面がありました〉。が、ジャンプで差がつかなくなり、指導方法が変わった。まず本田が育ち、髙橋が続く。髙橋は〈『踊って見せて、なんぼだよ』の世代です〉。

 話はこの後、羽生結弦から宇野昌磨へと続くのだが、4年前のソチ五輪で解説を担当した本田の言葉が泣かせる。〈佐野先生から始まり、バンクーバーで髙橋選手が銅メダルを獲り、その四年後に金メダルです。男子フィギュアスケートも、ここまで来ました〉

 スポーツに歴史あり。女子を抜くまでの40年。長かったね。

週刊朝日  2018年3月9日号