

阿:私の意識では関わり方は全く変わりません。
──大島が指摘する東海テレビドキュメンタリーに併存する2種類の傾向はいわば「静」と「動」。「人生フルーツ」は「静」にあたる。90歳の建築家と妻の穏やかな日常を描いたドキュメンタリーで、ミニシアター上映ながらロングランを重ね観客動員27万人を記録した。阿武野は言う。ディレクターの個性を尊重しながらもプロデューサーとしての基本姿勢は同じ、と。
大:なるほど。阿武野さんが書かれた『さよならテレビ』を読み返して気づいたことがありまして。ナレーターの起用を大事にされている。それも宮本信子さん、樹木希林さんなど大物。それが作品に合致している。しかし、土方宏史監督作品(「ヤクザと憲法」「さよならテレビ」など)だけ、ナレーターがいない。
阿:そうなんです。これはディレクターの向き不向きもあって。土方は文章を書くのが不得意なぶん、取材と構成がしっかりしている。映像表現として、どうしてもナレーションがないといけないものでもないので、彼の好きなようにさせているんですね。
大:僕は土方さんのことは「撮り屋」だと思ったんです。なんでこんなものが撮れてるの?という画がある。「ホームレス理事長」(13年)を観たときにそう感じました。
阿:取材対象の理事長が借金を申し込むためにディレクターの土方に土下座をする。10分くらいのシーン、あれは衝撃でしたね。不思議なんですけど、取材対象を四苦八苦、漂流するように追い続けていると、フッとそういうことが撮れてしまう。僕は、ドキュメンタリーには神様がいる。そう思っているんですが。
■時間かけて撮る「ええっ!」という画
大:ありますね。
阿:僕のいる東海テレビはニュースとドキュメンタリーが同じフロアにあって「なんでこういう画が撮れていないんだ!」というやりとりが聞こえてくる。そういう感じは、大島さんがプロデューサーをされるときにディレクターとの関係ではあるんですか?