この連載で僕は、指で弦に張力を加えることによって音程を上げるギター・テクニックに関して「チョーキング/Choking」という言葉を使わないようにしてきた。正しくはベンディング/Bendingであり、チョーキングは、経緯や理由はわからないが、ほぼ日本だけで定着してしまった言葉だからだ。だが、若者向けの音楽誌などに掲載されたタブ譜や奏法解説では今でもcho.などという符号が使われているかもしれない。中高年向けのギター教室では「さあ、それでは、今日はチョーキングを勉強しましょう」なんてことも…。
冗談はさておき、チョーキングのように、日本だけで定着してしまった音楽用語というヤツは、チョッパー、ブラス・ロック、チェンジ・コード(代理コードの意味らしいが、正しくはchord substitution)などけっこうある。若いミュージシャンや音楽ファンが米英の音楽関係者の前でそういう言葉を使わないよう、祈るばかりだが、その手のもので僕がとりわけ嫌いなのはアダルト・オリエンテッド・ロックの意味で使われるAORだ。
本来AORはアルバム・オリエンテッド・ロックを意味するいわゆるフォーマット用語。しかし日本では、ボズ・スキャッグスが『シルク・ディグリーズ』を発表した1976年にプロモーション用のフレーズとして編み出され、以来、まったく異なる意味で使われるようになってしまった。自分のブルースを追求しているだけのボズが、大人向けのお洒落なサウンドを指向する人として風俗的に紹介されてしまうのは、なんとも辛くて悲しい話だ。
前振りが長くなってしまったが、今回のコラムの主役は、その本来の意味でのAORを代表するバンド、レッド・ツェッペリン。約12年にわたる活動を通じて彼らは、基本的にシングル・チャートなどほとんど眼中にないといったスタンスを守り抜いているのだ。まさに、本物のAORバンドである。
その中心人物は、ジミー・ペイジ。1944年、ロンドン西部で生まれた彼は、ロカビリー、ブルース、スキッフルなどに刺激されてギターを手に取り、ライヴで経験を積むうち、スタジオ・ミュージシャンとして活躍するようになった。そのほとんどがノー・クレジットなので正確にはわからないが、一時期は「ロンドンの音楽シーンには欠かせない人」だったようだ。エリック・クラプトンがヤードバーズを去ることになったとき、メンバーたちはペイジに声をかけたが、彼はスタジオの仕事をつづけることを選び、ジェフ・ペックを推薦したという逸話も残されている。その後、結局ヤードバーズに参加することとなった彼が、もろもろを引き継ぐ形でスタートさせたのが、レッド・ツェッペリンだった。
ベースで鍵盤類も担うジョン・ポール・ジョーンズはペイジ同様スタジオ経験も豊富。ヴォーカルのロバート・プラントとドラムスのジョン・ボーナムは結成当時ほぼ無名の存在ではあったものの、ともに強烈な個性の持ち主であり、微妙に音楽性も異なるこの4人の奇跡的な出会いがツェッペリンの伝説を生んでいく。ペイジのプロデューとしての才能、発想、こだわりも大きく、たとえば初期の名曲の一つ《ホウル・ロッタ・ラヴ》は、なに気なく弾いたブルージィなギター・リフから生まれたものといわれているが、スタジオ作業では意欲的な実験を繰り返し、エディ・クレイマー(エンジニア)の協力も得て、ヘヴィなブルース・ロックで終わっていたかもしれない曲を「混沌」という表現がふさわしい芸術作品に仕上げている。
そして、カリフォルニアからの風もそれなりに受け止めた3作目をへて、頂点に立ったことを自覚した彼らは、ツアーをつづけながらきわめて高い完成度のアルバムをつくり上げ、無題の4作目として71年晩秋に発表したのだった。その中心トラック《ステアウェイ・トゥ・ヘヴン》の魅力と凄さは、あらためてここで紹介するまでもないだろう。
アコースティック・ギター(マーティンD-28だろう)とリコーダーだけの静かなイントロ。それに乗ってプラントがシニカルな言葉を歌いはじめ、2分を過ぎたころ、エレクトリック・ギターがそこに加わる。ボーナムの重たいドラムスが聞こえてくるのは、4分を過ぎたころ。そして、6分前後から延々とつづく力強く、鋭角的なギター・ソロ。約8分の《天国への階段》にはいくつものドラマがある。そして、そのドラマを再現したライヴでの写真や映像によってペイジが、ダブルネックのギブソンEDS-1275を永遠の名器の一つとしてしまったことも忘れられない。[次回8/9(水)更新予定]