女性の国会議員が秘書を叱責する「このハゲーーッ!」という声がテレビから流れ続けた夏。ギョッとした人も多いのでは?

 解毒剤になるかどうかはわからないけど、この種の罵倒に異を唱えるのが武田砂鉄『コンプレックス文化論』である。〈カルチャーを生み出す当人は、なぜ、その表現活動を始めたのだろう〉〈その根っこにはコンプレックスがある〉という確信のもとに書かれた本で、取り上げられているのは、天然パーマ、下戸、解雇、一重(まぶた)、親が金持ち、セーラー服(が好き)、遅刻、実家暮らし、背が低い、そしてハゲ。

 コンプレックスってものは、当事者以外には計り知れないところがある。たとえば下戸。「そうなんだ、お酒飲めないんだ……」という一言に下戸は「ごめんね」とひとまず謝る。この構造に著者は憤る。〈下戸は方々でソフトな謝罪を続ける。ジンジャーエールを飲めなくても、ジンジャーエールを飲める人に謝る必要はない〉〈なぜお酒だけ謝る必要が生じるのだろうか〉。加えて〈「とりあえずビール!」という人権侵害〉。

 あるいは一重。〈ファンはアイドルの好みを一重か二重かで選んではいない。なぜって、選ぶまでもなく、みんなが二重だから〉。一重の女優がいれば「二重にしてこいや」と命じるのが芸能界。一重の人は〈その活動の入口にすら立たせてくれない〉。

 告発はまだ続く。背の低さがコンプレックスになるのは、小中学校で背丈順に並ばされ「前へならえ」で〈いくつもの背中から「チビ」との目線を浴びてきた〉からだ。ハゲは〈コンプレックスの中でも茶化してしまって構わないとされる部類に属する〉ゆえに、〈バラエティ番組の安全パイとして重宝され続けている〉。

 コンプレックスとは世間の「ゆるい差別」と表裏一体なんですね。本書によると、高倉健も三國連太郎も長渕剛も泉谷しげるもクレイジーケンバンドの横山剣も下戸だそう。〈男の円熟味とは、決してバーのカウンターでは生まれないのだ〉。そういうことです。

週刊朝日  2017年8月11日号