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 文芸評論家・清水良典さんによる『街とその不確かな壁』(村上春樹、新潮社 2970円+税込み)のレビューを「今週の一冊」掲載に先がけて配信します。

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 村上春樹の数多い著作の中で『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が一番好きだという人は多い。さらに同作中でも「世界の終り」のパートの方が好きという人が少なくないはずだ。壁に囲まれた時間のない街の図書館で、愛する少女とともに獣の頭骨から古い夢を読む少年の生活の静けさ。読んだあと自分の奥底にも似た世界がひっそり築かれた気がしたものだ。

 その「世界の終り」には原作があった。1980年に「文學界」に発表されたきり今日まで封印されてきた「街と、その不確かな壁」である。当時の筆力では手に余る失敗作だったと作者はいう。その後「世界の終り」に結実してもなお心残りは解消しなかったらしい。原作を四十数年ぶりに全面的に書き直して本書は初刊行されたのである。ものすごい執念だ。

 旧作は163枚だが本書は1200枚。7倍以上のヴォリューム差がある。ただし本書は三部構成になっていて、第一部が原作の書き直しに当たる。それでも約300枚分なので倍近い分量だ。

 第一部は「ぼく」と「私」の二つの世界の並行小説になっている。16歳の「ぼく」が1歳下の「きみ」と恋に落ちるが、彼女は文通を続けるうち、突然この世から消えたようにいなくなる。彼女は壁に囲まれた街の話をよくしていた。本当の自分はあの街にいて、ここにいるのは影だというのだ。喪失感を埋められない「ぼく」は、その街へ行きたいと願い続ける。そして45歳になったある日「穴」に落ちる。気が付くとそこは、あの街の獣の死骸を焼く穴の底だった。こうして図書館で夢読みとなる「私」の物語の入口にループする。

 一角獣が「単角獣」に、門番が「門衛」に、西の門が「北の門」になるなど細かな改変があるが、街での日々の末に、「私」は街からの脱出を説く影とともに「溜まり」まで行くものの、留まる決意を告げて影を見送る。この経緯には大きな変更はない。しかし文章は格段に繊細さを増し美しくなっている。また自分の内部に苦しみを抱えた「きみ」は、あの『ノルウェイの森』の直子を彷彿とさせる。過去に読んだ記憶が今現在と混ざり合う不思議な気持ちは、二つの世界を生きる本書の人物の内面とも共振せずにおれない。こうして読む者は本書にシンクロしていくのである。

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