広大なアフリカ大陸のうち25カ国を訪ねてきた、フリーランスライターで武蔵大学非常勤講師の岩崎有一さんが、なかなか伝えられることのないアフリカ諸国のなにげない日常と、アフリカの人々の声を、写真とともに綴ります。
アフリカに、果たして何カ国の国が存在するか知っていますか? ネットで検索すれば、「54カ国」「55カ国」という数字が混在していることに気づくでしょう。そこには歴史的な意味があるのです。
* * *
今年の1月31日、ニュースサイトを斜め読みしていると、モロッコがアフリカ連合(AU)に再加盟したと報じる記事を見つけた。実に33年ぶりだという。
いずれのニュースもさらりと伝えるだけだったが、アフリカ北部を知る者にとっては、いろいろと考えさせられるできごとだ。
2011年にスーダンから南スーダンが分離独立を遂げてから、日本でアフリカの国数に触れるときは「アフリカ54カ国」と記されてきた。今回のモロッコ再加盟まで、AU加盟国数は54カ国。その数字を踏襲したのだろうか? 答えは否だ。
そもそもモロッコはアフリカ大陸に位置する独立国であり、間違いなくアフリカを構成する国の一つだ。モロッコを含めた「アフリカ55カ国」と記すのが普通であり、54カ国では辻褄が合わない。しかし、「54」と「55」の表記は依然、混在している。なぜか。
日本でアフリカを鳥瞰する際に、カウントされないことのある国がある。西サハラだ。
西サハラは、字面からはサハラ砂漠の西側を漠然と意味する言葉のように感じられるが、ある特定の地域を指す言葉だ。西サハラには、サハラ・アラブ民主共和国が存在すると主張されているものの、モロッコが実効支配をしており、サハラ・アラブ民主共和国による自治は行われていない。このサハラ・アラブ民主共和国を日本政府は国家として承認していないため、公には「アフリカ54カ国」とされてきた経緯がある。
西サハラの歴史をここで紐解くには限界があるが、ごく手短に触れたい。
アフリカ大陸がヨーロッパ各国からの植民地支配を受けていた時代、この地域はスペイン領・西サハラと呼ばれ、スペインが支配していた。1975年にスペインは西サハラを放棄し、モロッコとモーリタニアが分割統治を始めると、西サハラの独立を求めるポリサリオ戦線が独立闘争を開始。76年にアルジェリア国内にサハラ・アラブ民主共和国の亡命政権が誕生した。同年、モーリタニアは西サハラを放棄する。ポリサリオ戦線はモロッコに向けてゲリラ戦を続けたが、91年、独立を遂げるかモロッコに帰属するかを問う住民投票を行うことを条件に、停戦。同年、国際連合西サハラ住民投票ミッション(MINURSO)が設立された。しかし、MINURSO設立から26年の歳月が経った今も、住民投票は行われておらず、モロッコによる実効支配が続いている。