4月28日から公開される映画「せかいのおきく」。舞台は世界に先駆けて循環型社会が成立していた江戸時代末期。武家育ちでありながら、今は貧乏長屋で父と暮らすおきく(黒木華)と、古紙や糞尿を売り買いする仕事に就く中次(寛一郎)と矢亮(池松壮亮)を中心に、たくましく生きる若者たちの姿を描く。寛一郎さんと、彼を生まれた頃から知る阪本順治監督が、短編集のような珍しい映画の舞台裏を語った。
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阪本:僕はお侍さんが出てくる時代劇はほとんど興味がない。権力者やその家族がどうのこうのという話も興味はありません。でも、時代劇というジャンルを借りないとやれないことがあるのだったらやりたいと思っていました。実は、過去にも一度時代劇を書いたことがあります。原作ありきでしたが、その時も侍は出てきませんでした。大都市江戸で、しかも鎖国をしていて階級差が明確になっている。そこの地べたの暮らしというのは今、現代劇に置き換えるとやれないことが多いと思います。でも、何より時代劇がいいのは、携帯電話なしで脚本を書けること。物語が立ち上がってくるんですよ。
寛一郎:僕は小学生ぐらいから携帯電話を使っているので、あるのが当たり前です。でも、携帯を持っていてもすれ違うことってありますよ(笑)。
阪本:それって、高度なすれ違いやね(笑)。
寛一郎:だから、僕はこの映画で携帯がないことを特別意識したことはなかったです。どのシーンにもすごく思い入れがあります。先ほど人間は回ると言いましたけど、監督は僕らほとんど全員に(セリフを)当てて書いてくれました。つまり、この映画は同じ時代に生きてる、いろんな世代の人たちの話でもあります。