
この日の式典では、35人のフローレンス・ナイチンゲール記章の受章者のうち、3人に雅子さまが自ら授与し、懇談をしている。
「いままでのいろいろな思いが吹っ切れたように思います」
そう雅子さまとの懇談を振り返ったのは、元日赤群馬県支部参事の春山典子さん(81)だ。春山さんは、1985年8月の日航機墜落事故で、看護の責任者として生存者への救命措置などに尽力したことを評価された。
「(ヘリに)乗った時の様子はどうでしたか」
機内で子ども2人の救護にあたった春山さんは、雅子さまからいくつか質問を受けた。事前に調べてよく勉強されていることが伝わるやり取りだったという。
「一生懸命、頑張りましたね」
雅子さまのこの言葉は、春山さんの胸に響いた。
「あの事故から40年。語り続けることが大事なのだと、いまようやくわかりました。群馬の山岳地帯で飛行機が落ちて520人の命が奪われて……。それでも4名の生存者がいたのは奇跡的なこと。その方々がいたからこそ、1カ月半も続く救護活動ができたのです」(春山さん)
日本ヒューマン・ナーシング研究学会理事長の紙屋克子さん(78)は、意識障害のある患者の看護方法を確立した業績が評価された。
「どんなところからはじめましたか」
紙屋さんの心に残ったのは、雅子さまが意識障害について尋ねたこの問いかけだった。
意識が低下したり、体を動かしたりすることが難しい患者たち。それまでは血圧を測ったり、注射をしたりするだけのケアだった。
しかし、紙屋さんたちは、その人らしい生活をもう一度取り戻したいと思った。彼らが出す、わずかなサインを発見しようと試行錯誤をはじめた。
