彬子女王(あきこじょおう)
1981年、故・寬仁親王の長女として誕生。学習院大学文学部史学科卒、英国オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。女性皇族初の博士号を取得して帰国した。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授など。2012年に「心游舎」を設立し、日本の伝統文化を子どもたちに伝える活動も続ける。著書『赤と青のガウン オックスフォード留学記』(PHP文庫)は38万部を超える大ヒットとなった(撮影=写真映像部・馬場岳人)
彬子女王(あきこじょおう)
1981年、故・寬仁親王の長女として誕生。学習院大学文学部史学科卒、英国オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。女性皇族初の博士号を取得して帰国した。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授など。2012年に「心游舎」を設立し、日本の伝統文化を子どもたちに伝える活動も続ける。著書『赤と青のガウン オックスフォード留学記』(PHP文庫)は38万部を超える大ヒットとなった(撮影=写真映像部・馬場岳人)
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 英国オックスフォード大学マートン・コレッジで、女性皇族初の博士号を取得した三笠宮家の彬子女王殿下は、大の高校野球好きとしても知られる。彬子さまに、高校野球のことはもちろん、ご家族との野球の記憶などをうかがった。AERA増刊「甲子園2025」の記事を紹介する。

【写真】三笠宮家の彬子女王殿下

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 夏の甲子園大会には足を運ばなければわからない醍醐味がある。アルプススタンドの立ち上る熱気、応援団のエールとブラスバンド演奏の勢い、球場全体がうねるような応援、時として九回裏ツーアウトから始まる逆転劇の迫力──。

「すべてが好きすぎて。あれもよかった、これもよかったと。とにかく皆さん一所懸命で、アウトだろうなと思うような場面でも走ってヘッドスライディングして。どこまでも真摯なその姿に心打たれますね」

 言わずと知れた智弁和歌山のチャンステーマ、「ジョックロック」。この曲が流れだすと逆転を呼ぶ「魔曲」ともいわれる。

「初めて聞いたときは、これが生ジョックロックか、と感動しました」

 そんなふうに熱っぽく「高校野球愛」を語る三笠宮家の彬子さまは毎夏、甲子園に通う高校野球の大ファンである。大会が始まれば公務や大学での研究・指導、執筆活動などの合間を縫って試合をチェックする。特に決勝と閉会式は必ず録画する。優勝校、準優勝校の選手たちがメダルを授与される場面に、涙が出るほど感動してしまうという。

「実況の方が選手一人ひとりをひとことで紹介していく。『伝令で活躍しました』とか『準決勝のダイビングキャッチがチームを救いました』とか。みんな頑張ったなと」

 夏の大会は「負けたら終わり」。大観衆を前に精いっぱいプレーする高校球児たちのひたむきさが彬子さまをのめりこませる。4番打者やピッチャーといった中心選手ばかりではなく、補欠やサポートの選手たちまでくまなく応援するのだ。

初の甲子園球場での観戦は2018年の横浜―金足農

 彬子さまが高校野球に“ハマった”のは、いわば「偶然」だった。たまたまテレビのバラエティー番組の企画「高校野球大好き芸人」を見たら、1998年夏の大会の準々決勝、「横浜─PL学園」の延長十七回、3時間37分に及んだ試合が紹介されていた。横浜のエース・松坂大輔が一人で250球を投げ抜いた伝説の名勝負だ。

「私は松坂選手の一つ年下で、ほぼ同世代。なぜこんなに素晴らしい試合を生で見なかったんだろう、リアルタイムだったらもっと興奮して見られたのに、と悔しくて。それから、きちんと見るようになりました」

 初めて夏の大会を甲子園球場で観戦したのは2018年、3回戦の「横浜─金足農」。横浜優勢で進んだ試合だったが、金足農が八回裏に逆転3ランを放ち勝利を収め、準々決勝に進んだ。6番打者が高校生活で初のホームランを放つというミラクルだった。その後、秋田の県立農業高校は決勝までコマを進め、エースの吉田輝星が地方大会から一人で投げ続けるなど、「金農旋風」が巻き起こった。彬子さまは、テレビのダイジェスト番組で見た1回戦から吉田選手に注目していたという。

「牽制球が玄人というか、高校生ばなれしているなと。その後、弟さんが同じ金足農で出場するようになって、あのときアルプススタンドで応援していた少年があんなに大きくなったと感慨深いものがありました。高校野球を毎年見ている『定点観測』の成果ですね」

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