――確かに三島由紀夫の政治的な信条と、現在の平野さんのスタンスは真逆かもしれないですね。
そうなんですが、現実の社会に批判的であることは共通しています。三島も当時の社会の中で居心地の悪さを抱えていたし、同時にきわめてニヒリスティックだった。僕はそういう三島に惹かれたわけですが、「では、どうするか?」となったときに天皇のことが出てくると、自分の考えとはかなり距離があります。しかし、だからこそ「どうしてそうなったのか?」と考えたくなりますね。
分人主義で探る、分断を超える対話
――今の社会に話を戻すと、考えが違う人たちとどう対話するか?も大きな課題なのかなと。
90年代から2000年代の初めの頃は、僕自身、対話に懐疑的な時期がありました。ヨーロッパの啓蒙主義の延長で語られる対話の大切さは、価値観が大きく違う人たちとの議論においては無力じゃないか?と。9.11(アメリカ同時多発テロ事件)が起きた後はさらにその思いが強くなりましたが、今は一周回って、やはり対話するしかないのかなと思っていますし、分断を乗り越えるアプローチの一つに“分人主義”(※)を据えています。(※分人=平野啓一郎が提唱する、対人関係ごと、環境ごとに分化した異なる人格のこと。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉える考え方)
僕自身は政治的には中道左派ぐらいの立場だと思うんですが、一方で音楽が好きで、二児の父親で……といろいろな属性がある。そのなかで政治的な立場が違う人たちとも、どこかに共感できる接点があるかもしれないし、その結びつきを通して、分断を克服するのが現実的ではないかと思っています。実際、X(旧Twitter)でも音楽の話や「これが美味しかった」みたいなことも投稿していますが、「平野の意見は気に食わないけど、音楽の趣味は近い」という人もいます。そうやって共感してもらえることが対話のきっかけになることに可能性を見出したいです。