まつした・こうへい/1987年生まれ、東京都出身。俳優、シンガー・ソングライター。2026年放送のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では徳川家康を演じる(撮影:写真映像部・東川哲也)※作品はファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
まつした・こうへい/1987年生まれ、東京都出身。俳優、シンガー・ソングライター。2026年放送のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では徳川家康を演じる(撮影:写真映像部・東川哲也)※作品はファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
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 今なお世界中の人々を魅了し続ける画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)。その日本初の展覧会が開催中だ。展覧会の開催に合わせて、ゴッホの弟・テオのひ孫、ウィレム・ファン・ゴッホさんが来日した。AERA 2025年8月25日号より。

【写真】似てる? ゴッホの弟のひ孫・ウィレムさん

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 ゴッホは生前、テオや友人の画家たちに多くの手紙を書き送っていた。ゴッホが書いたものと受け取ったものを合わせると、現存するだけでも900通を超えている。今回の展覧会に出品された先輩画家への手紙には、スケッチとともに「こういった街で見かけるような人物を描くのは簡単ではない」と記している。芸術を愛する仲間たちと切磋琢磨しながら、真摯に絵に向き合うゴッホの姿が浮かび上がってくる。

 展覧会の開催に合わせて来日したテオのひ孫で、ファン・ゴッホ美術館の理事会顧問を務めるウィレム・ファン・ゴッホさんは「フィンセント(ゴッホ)は美術学校にも行かず、27歳で一から絵を学び始めた人です。新しい芸術を求め、技術を磨き続けました。野心的で複雑な人柄だったこともあり、『友人がおらず孤独な人だった』と思われています。でも、あたたかな人間関係も持っていたのです」と話す。

 ゴッホとテオは幼い頃から仲が良く、2人とも「芸術の革新」を目指していた、とウィレムさんはいう。ゴッホは生前、広く評価を得られなかったが「時代の先を行きすぎていたから。彼の作品は強すぎ、色も鮮やかすぎて一般の人には理解できなかったのでしょう」と話す。

テオのひ孫ウィレムさんは「私は全く絵を描きません。ファン・ゴッホという芸術家には誰も張り合うことができないから」と笑う(撮影:写真映像部・東川哲也)
テオのひ孫ウィレムさんは「私は全く絵を描きません。ファン・ゴッホという芸術家には誰も張り合うことができないから」と笑う(撮影:写真映像部・東川哲也)

生前は日本に傾倒

 ファン・ゴッホ美術館のロブ・グルート副館長も「フィンセントは完璧であることにこだわっていた。そのために彼は変わった人だと思われがちです。ただ、同じように新しいことに挑戦していた友人たちは彼のことを理解していました」。ゴッホが亡くなった時、友人たちは「私たちの時代の偉大な画家の一人が亡くなった」と悼んだという。

 さらに重要なのは、テオやゴッホの友人たちだけでなく、テオと結婚して2年にも満たなかったヨーも義兄の芸術を理解していたことだ。グルート副館長によると、ヨーは複数の言語を話し、まだ幼かった息子を連れて世界中を旅し、ゴッホの名を広めた。「ヨーはフィンセントのコレクションを深く理解し、大切な役割を果たした。100年も前の芸術界にこのような強い女性がいたということも、この展覧会を通じて知ってほしいことのひとつです」

 ゴッホは生前、日本の芸術家についての本を読み、浮世絵を集めるなど深く日本に傾倒していた。南仏アルルからテオに送った手紙には「ここが日本みたいに感じられる」と書いたほどだ。

 ウィレムさんは「もし彼が生きていたら、こんなに大きな展覧会が日本で開かれたことをとても誇りに思うでしょう」と嬉しそうに語る。「フィンセントとテオは幼い頃には一つのベッドで眠り、大人になってからも一緒のアパートで暮らした時期もあった。そんな仲良しの兄弟が近代美術の将来に貢献したいと願い、支え合って生まれた芸術をぜひ見ていただきたいです」

(フリーランス記者・山本奈朱香)

ロブ・グルート副館長は「テオは金銭面だけでなく『新しい芸術を作るために兄を刺激した』点でも大切な役割を果たした」という(撮影:写真映像部・東川哲也)
ロブ・グルート副館長は「テオは金銭面だけでなく『新しい芸術を作るために兄を刺激した』点でも大切な役割を果たした」という(撮影:写真映像部・東川哲也)

AERA 2025年8月25日号より抜粋

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