
8月15日、プロ野球界に大きなニュースが飛び込んできた。中田翔(中日)が今シーズン限りでの引退を発表したのだ。中田は2023年オフに自らの意思で巨人を自由契約となり中日に移籍。今年が2年契約の2年目ながら、ここまで一軍で10安打、2本塁打、打率.161と低迷し、その去就が注目されていたが、このタイミングでの引退発表には驚いたファンも多かったのではないだろうか。
【写真】「投手としての評価が高かった。素材として非常に魅力的でした」との声も
改めて中田のプロ野球生活を振り返ってみると、日本ハム時代には3度の打点王を獲得するなど長く4番として活躍。通算1783試合に出場して1579安打、309本塁打、1087打点というのは間違いなく一流選手と言えるだけの数字である(引退発表時点)。しかしそれでも少し物足りなさを感じるのも事実だ。その理由はやはり高校時代のプレーぶりにある。
中田は広島県の出身で、広島鯉城リトルシニア時代から高校野球関係者の間では評判の存在だったという。そして衝撃のデビューを飾ったのが1年夏に出場した甲子園の初戦、対春日部共栄戦だった。
この年の大阪桐蔭はエースの辻内崇伸(元巨人)、4番の平田良介(元中日)というドラフト1位でプロ入りする2人が注目を集めていたが、この日は辻内が相手打線に打ち込まれて乱打戦となる。そして7対7の同点で迎えた7回裏、5番で出場していた中田はレフトスタンドに勝ち越しのホームランを放って見せたのだ。その打球はレフトスタンド中段まで届くもので、とても1年生とは思えないものだった。
さらに投手としても5回途中から辻内をリリーフし、最速147キロをマークしている。長い甲子園の歴史でも、投打両面でここまで衝撃的なデビューを飾った1年生はそうそういるものではない。
その後も中田は数々の伝説を残すこととなる。2年夏の大阪大会では大会記録となる4試合連続ホームラン。さらに秋の近畿大会では推定飛距離170メートルと言われる超特大の場外弾を放ち、3年春に出場した選抜高校野球でも佐野日大戦で1試合2本塁打を記録した。中田の記録した高校通算87本塁打というのは、当時の最多記録でもある。