『THE BOOTLEG SERIES VOL.9 THE WITMARK DEMOS: 1962-1964』BOB DYLAN
『THE BOOTLEG SERIES VOL.9 THE WITMARK DEMOS: 1962-1964』BOB DYLAN
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 2004年に刊行された『クロニクルズVolume One』で、ボブ・ディランは、ニューヨークの音楽出版社(版権管理会社)リーズ・ミュージックではじめて職業作家として仕事をしたころの思い出を生きいきとした筆致で書いている。

 この連載の初期段階で書いたとおり、ミネソタ州からニューヨークにやって来たディランは、新しい可能性を持ったフォーク・シンガーとして注目を集めるようになり、伝説的プロデューサー、ジョン・ハモンドに認められて大手コロムビアと契約している。1961年11月に録音されたファースト・アルバムはトラディショナル中心で自作は2曲だけだったが、ハモンドはソングライターとしての才能にも着目し、リーズに紹介したのだった。

 オフィスにオーナーのルウ・リーズを訪ねたのは、翌年1月。音楽的共通点はなく、会話などもほとんどなかったにもかかわらず、ともかくそこで彼は幾許かのアドヴァンスを渡され、契約を結んでいる。二十歳の青年が音楽ビジネスの構造をどこまで理解していたかわからないが、ともかくこうしてディランは、レコード・デビューの数週間前に、作曲家としての第一歩を踏み出していたのだ。『クロニクルズVolume One』では、その日、50丁目にあったジャック・デンプシー(1910年代から20年代にかけて活躍したヘヴィ級ボクサー)のレストランに連れていかれたエピソードもリアルに描かれている。

 62年3月に初アルバム『ボブ・ディラン』が発売されたあと彼は、あまり積極的ではないリーズを離れて大手のMPHCと契約することを模索して自ら動いたという。このあたりの経緯には諸説あるようだが、前後してディランに興味を持つようになったアルバート・グロスマン(ピーター・ポール&マリーなどのマネージメントを手がけていた)が金銭面での援助を申し出て、リーズとの契約を無事解消。セカンド・アルバムの録音に着手する前に、彼はMPHC参加のウィットマークと版権管理に関する契約を交わし、さらに、正式な形でグロスマンにマネージメントを委ねることとなったのだった。

 公式ブートレッグ・シリーズ第9弾として2010年に発表された『ウィットマーク・デモズ : 1962-1964』には、リーズ契約中のものも含めて、この時期に残したデモ音源47トラックが収められている。基本的にはいずれも、オフィスに併設された作業部屋で、少数のスタッフとテープレコーダーだけを前に録音されたものだ。ジャケット写真にあるとおり、タイプライターで歌詞の推敲を重ねながらの、きわめてパーソナルな作業であったに違いない。「最後の歌詞を忘れた」という声がそのまま残されているなど、リラックスした雰囲気も伝わってくる。

 ボブ・ディラン自身のヴァージョンで「名曲」と呼ばれるようになった歌のなかで、そのいわば原石としてここに収められているのは、《ブローイン・イン・ザ・ウィンド》《ア・ハード・レインズ・ア・ゴナ・フォール》《マスターズ・オブ・ウォー》《ドント・シンク・トゥワイス、イッツ・オール・ライト》《ガール・フロム・ザ・ノース・カントリー》《ザ・タイムズ・ゼイ・アー・ア・チェインジング》《ミスター・タンブリン・マン》など。途中で咳が入る《風に吹かれて》以外はいずれも完成度が高く、繊細なアルペジオが耳に残る《くよくよするなよ》とピアノを弾きながら歌う《時代は変わる》は、あくまでも個人的な意見ということだが、レコード化された完成ヴァージョンよりも強く惹かれるものがある。[次回2/15(水)更新予定]