
【※以下の内容には、既刊のコミックスおよび劇場版のネタバレが含まれます。】
【画像】猗窩座より強い?「無限城編」に登場する上弦の鬼はこちら
18日に公開された劇場版「『鬼滅の刃』無限城編 第1章・猗窩座再来」の快進撃が続き、このわずかな期間に興行収入100億円、それ以上が見込まれている。同作は、上弦の参・猗窩座と水柱・冨岡義勇との熾烈な戦いも見どころのひとつだ。
新刊「鬼滅月想譚 ――『鬼滅の刃』無限城戦の宿命論」を著した植朗子氏は、義勇と猗窩座が持つ、運命の引き合いと“共通要素”について分析している。同書から一部を抜粋変更してお届けする。
* * *
■猗窩座の不幸な人間時代
人間時代、狛治(はくじ)という名だった猗窩座は、病で苦しむ父の薬を手に入れるために盗みを働いていた。まだ11歳という年齢にもかかわらず、両腕に罪人の入れ墨がいれられている。
狛治の父は、父のために罪を重ねる息子のことを心配して、そののちに不幸な死を迎えた。悲しみにくれ、世の不条理に憤る狛治だったが、素流(そりゅう)という武術の達人・素山慶蔵に救われ、彼の弟子となる転機に恵まれる。慶蔵の家でともに暮らしはじめ、彼の娘・恋雪の看病をまかされることになったのだが、やがて悲劇に見舞われる。くり返される大切な人たちとの別離。
■失われた記憶と、心に残り続けた願い
狛治の願いは「大切な人たちが死なない」ことだった。猗窩座の夢は「強さを得る」ことで、それは「愛する者たちを守りきることができる強さ」への渇望であった。しかし、どんなに守ろうとしても、彼の目の前から大切な人が消えていく。
「死」というものはままならないもので、けっして罪ではないのだが、「愛する者の喪失」は人の心を決定的に傷つけることがある。くり返される絶望の中で、狛治はとうとう鬼・猗窩座になってしまった。そして、彼は鬼になったのちに、大切な記憶、幸せだった頃の思い出すら“忘れて”しまった。
■「弱者」という言葉に込められた本当の意味
猗窩座は己の記憶と決別したはずだった。しかし、無限城の戦いの中で、自分の過去を次第に思い出していく。今にも倒れそうになりながら炭治郎を守ろうとする義勇を見て、猗窩座はかつての「夢」を思い出した。けっして叶わぬ「夢」を。大切なあの三人への思いを。
死んだところで 三人と同じ場所には行けない
よくも思い出させたな あんな過去を
人間め
柔く 脆い 弱者
すぐ死ぬ 壊れる 消えてなくなる
(狛治・猗窩座/18巻・第156話「ありがとう」)
ここで猗窩座が口にした「すぐ死ぬ者」とは不意の出来事によって彼より先に死んでしまった、愛する人たちを指している。猗窩座にとって「弱者」とは、儚く死んでしまった者たちを意味しているが、同時に、彼らを守りきることができなかった自分自身のことも含んでいる。
■“理想の武人”の姿・冨岡義勇
そして、猗窩座は「両方の弱者」に義勇の姿を重ねた。つまり、自分自身と義勇の思いを重ねたのだ。大切な人を亡くして悲しみに打ちのめされたことがある義勇の「弱さ」は、猗窩座の心情に通じるものがある。そして、今、劣勢の只中で、炭治郎を守り、ともに生き抜こうとする義勇の心が、猗窩座のかたくなさを解きほぐした。