守る、守る、守る、守る、という義勇の必死の想いと呼応し合うように、猗窩座が記憶の奥底に隠していた、「大切な人を守りたかった」という心の封印が解けてしまう。
■猗窩座と義勇の共通点
猗窩座と義勇は〝似ている〞。彼らの間の共通点は、以下の2点に集約される。
まず一つ目は、「自死に近い形で、自分の親/親代わりが死を選んだ経験がある」ことだ。猗窩座の実父は、彼の未来を案じて、死を選んでいる。義勇の場合は、姉の蔦子(つたこ)が鬼から弟をかばって自分が犠牲になることを選択していた。
次に二つ目は、「自分が不在の時に、大切な人を亡くした経験がある」ことである。猗窩座は、人間時代、自分の留守中に愛する人を失っている。義勇もまた、自分の手の届かぬ状態で姉と友を亡くしていた。文学的なモティーフに照らし合わせて考えてみると、「身代わりとしての自死」のようなかたちで、大切な人を亡くしているキャラクターであるといえよう。
さらに彼らのトラウマには「別れの言葉」を十分に伝えられなかったことへの後悔、自分が彼らを守るべきだった/自分だけが生き残ってしまったという自責の念と密接にかかわっている。(注:他のキャラクターにも類似の体験をした者たちはいるのだが、細部において異なり、その詳細は拙著『鬼滅月想譚』で解説している。)
■猗窩座が義勇に共感した理由
猗窩座も義勇も大切な人を守れなかった自分の弱さを嘆き、強くなろうとした。そして、これらの経験から大切な人を守りきるための強さを切望しているという点で、猗窩座と義勇が共通しているのは明らかである。大きく異なるのは、猗窩座にはもう守りたい人はいない、という点である。
さらにもうひとつ共通点がある。猗窩座も義勇も自責の念がかなり強いが、当時の彼らは「まだ大人の男ではなかった」という点もよく似ている。義勇にしても、猗窩座にしても、大人になる前の彼らが、「自分より強い立場にいる存在=庇護者」である者たちを守れなかったことに、罪などあろうはずもない。
このように彼らの間に類似のトラウマと後悔があることから、無限城での極限の戦いにおいて、猗窩座と義勇の心が強く引き合ったのだろう。猗窩座が義勇の戦い方に共感を示したのは、強さを希求するようになる過程に、「弱い自分への嫌悪」があったことが関係している。しかし、この「弱さ」こそ、素直な気持ちをなかなか口にできない彼らの「優しさ」のあらわれでもあったのだ。
《新刊『鬼滅月想譚 ――「鬼滅の刃」無限城戦の宿命論』では、猗窩座と対峙した炭治郎や義勇、煉獄の戦いに込められた意味を分析し、詳述している》
