11日放送の「金曜ロードショー」(日本テレビ系・よる7時56分)は、2024年公開の映画「キングダム 大将軍の帰還」がノーカット版で地上波初放送される。映画「キングダムシリーズ」の第4弾となる本作。伝説の大将軍・王騎(大沢たかお)VS最強の武神・龐煖(吉川晃司)の因縁の対決が見どころの一つだ。本作で中国史監修を務めた鶴間和幸さんの著書『始皇帝の戦争と将軍たち』から抜粋した記事を再掲する(この記事は「AERA dot.」に2024年7月27日に掲載されたものを再編集したものです。本文中の年齢、肩書等は当時のもの)。
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映画『キングダム 大将軍の帰還』が盛り上がりを見せている。映画では、清野菜名さん演じる女剣士・羌瘣(きょうかい)が見せる人間離れした剣技も見どころだ。羌瘣は、史実においてどう活躍したのか。
映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは著書『始皇帝の戦争と将軍たち』の中で、「対趙戦における活躍」を挙げている。
『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。
【『キングダム』よりも先の史実に触れています。ネタバレにご注意ください】
秦が趙都を陥落させた時期には、すでに秦の占領郡が趙の国土を包囲していた。趙の西は泰原郡、上党郡、南は東郡が包囲していたので、秦は趙都の邯鄲(かんたん)には西と南の両方向から攻めることができた。
邯鄲を攻めたのは王翦(おうせん)軍だけでなく、羌瘣と楊端和(ようたんわ)も加わっていた。『史記』秦始皇本紀の記事は前年の始皇一八(前二二九)年に「大いに兵を興して趙を攻む」と記れている。韓を滅ぼした勢いで、目標は趙に向けられた。「大いに兵を興(おこ)す」とは大動員令を発したことを示している。
記事には、王翦と楊端和、羌瘣の連帯した動きが記されている。王翦軍は「王翦、上地を将(ひき)い、井陘(せいけい)に下り」、楊端和は「河内(かない)を将い」、羌瘣は「趙を伐ち」、さらに楊端和が「邯鄲城を圍(かこ)む」と記されている。
「将いる」とはその地の占領郡の兵士を率いるという意味である。上地とは不明であり、秦の上郡とも解されているが、邯鄲から遠すぎるので、秦の上党郡のことかと思われる。王翦は上党郡の兵を率いて山越えして井陘の地に降り、北から邯鄲を目指したのだろう。楊端和は黄河の北岸の河内から邯鄲を目指し、いち早く邯鄲城を包囲した。
羌瘣が「趙を伐ち」というのは漠然と趙を伐ったというだけで、どこから邯鄲を攻めたのか伝えていない。おそらく占領郡の東郡から東に回って邯鄲を攻めたのであろう。